真に哲学者に近づいてゆくためには、洞察の時間を、孤独の静かなる境地の内に確保することが、まず大切である。
どのような哲学書を読もうとも、そこから得られる喜悦は、理性的実在としての悦びであり、それは、あらゆる感性的な欲望を超えたものである。
そして、その中から、知的洞察と内省を通して思索された断片を軸にして一つの随想を綴ってゆくということは、知的生産の王道である。こうしたことを、日々、積み上げてゆくだけで、一冊の哲学書が出来てゆくのである。
故に、これまで出版した本のすべては、自己の思索する精神の軌跡であるとも言える。また、哲学書、思想書については、当然、知的遺産であり、人生の道標である。
本来、本を出版するということは、かのスピノザ、デカルト、ルソーなどをとっても分かるように、生命賭けのことであり、勇気が要ることである。それによって失うものもあれば、得られるものもあるのである。
故に、一冊一冊の書物の中に、その哲学者・思想家の魂と志が込もっているのである。並大抵の根性では、一冊の本も仕上げられないのである。
しかし、知的生産物を倦まず弛まず創造し続けて、一定の実績を積んでゆくと、それは決して誰でも出来るようなものではなくて、確かに偉人の生産物であると、客観的に位置づけられるようになるのである。
これは、自然に与えられる名誉であり、精神的地位である。それらを受けた上で、哲学者は、本来、孤独の内に安らぎを見出し、知的思索を、人類の眼として行ってゆくものである。
非日常の思索空間の中で思索を紡ぎ出し、自己観照の内に、不滅の真理を呈示するのである。
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)