社交的精神というものも、ゲーテ的生き方の伝統である。それぞれの分野でサロンを創り、文化的洗練というものをお互いに磨き合ってゆくことは大切である。

 

 その意味で、様々な社交クラブに積極的に出席してゆくということは、人生の幅を創る上で極めて大切なのである。


 後に慶應山脈といわれる一大人脈を創った福澤諭吉の精神であっても、その中には社交的な所が強くあり、様々な文化風土というものを創っていっているのである。

 

 このように、福澤諭吉の生き方や思想の中には社交的精神というものがかなり入っており、日本国を中心に、隠れた上流社会を世界中に創っているのである。


 また、同様に、ゲーテ精神の中にも社交的精神というものがかなり入っており、西洋社会において、文学サロンを創る伝統というものがあるのである。


 故に、近代以降の日本においては、その底流を流れる神道精神に加えて、この福澤諭吉精神がより大きな影響を与えているという観方も出来るのである。

 

 この近現代の日本には、伝統的な古来からの神道精神、仏教精神をベースにしながらも、世界的普遍性を有する福澤諭吉精神が強力に流れているのである。


 故に、もっとこの福澤諭吉精神を大切にしてゆくことで、この日本に、さらに社交精神を確固たる文化風土として創り、新時代に向けてさらに発展させていっていただきたいと憶う次第である。






  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 



 


 モーツァルトの音楽の本質とは一体何なのであろうか。

 

 モーツァルトが作曲した楽譜には訂正した形跡がほとんどなく、それが一気に綴られたものであることは有名な話ではあるが、このように、天上界から直接に映されるようにして出来たインスピレーションの産物であるというのがモーツァルトの音楽の本質なのであろうか。


 それでは、ゲーテが創造した詩歌はモーツァルトの音楽に似ているのであろうか。それとも、彼の『ファウスト』などの宗教文学の本質はバッハなどと似ているのであろうか。それとも、ゲーテのヒューマニズム的ロマン主義は、ベートーベンなどと似ているのであろうか。


 しかしながら、そのどれもがゲーテとはその一部分を共にするけれども、モーツァルトこそ、ゲーテ自身は、もしも自己の詩をオペラにするならばこの作曲家だと憶っていたそうである。


 ゲーテは、友人のベートーベンには、何か自分とは異質なものを感じとっていたようである。また、後世、マーラーなどもゲーテの詩をもとに作曲しているが、やはりゲーテとは少し音楽のタイプが異なっているかもしれない。


 ちなみに、日本の岡井隆という歌人は、バッハとマーラーをよく短歌にしているけれども、マーラーは老境の歌人にはロマンチックすぎはしないであろうか。あるいは、バッハは己が人生を省みる創造には適しているのであろうか。


 この岡井隆氏の歌集に『暮れてゆくバッハ』というものがあるが、多少暗めで荘厳な絶対精神としての理念のあるバッハと、絶対精神を離れても明るくて天上的であるモーツァルトとでは、モーツァルトの方が軽やかであり、より一層、音楽としての普遍性があるように憶われるのである。


 そこには真なる天使の天真爛漫な姿があり、純粋音楽としての天上の調べが奏でられているのである。ゲーテは、このようなモーツァルトの本質に、自己の精神と相通じるものを確かに感じとっていたのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 


 恋歌というものは、人生の最高の勝利であり、成功であると言えるのである。


 人間は、人生に幾つの恋をすることが出来るのであろうか。幾つの恋の言霊を持つことが出来るのであろうか。


 恋一つ、偶然にはしないものであり、その一つ一つが、かけがえのない縁であり、機会なのである。恋こそ人生の華であり、それは、かけがえのない人生の想い出となるものである。


 同様に、詩歌一つ、偶然には生まれないものであり、恋歌が生まれるということは、人生の幸運そのものなのである。恋を通じて生まれた歌詞やメロディーの一つ一つが、天から賜った産物であり、智慧の子供なのである。


 このように、恋の産物は、全て善神の賜物であり、全てエロスの神の賜物なのである。故に、恋は神秘であり、神聖そのものであるのである。それは、ただの本能ではないのである。限りなく精神的な営みなのである。


 恋をしてソウルメイトになることは、天上からのインスピレーションであり、人生の導きであり、人生の生きがいであり、人生の悦びであり、また、何かの目標を達成してゆく原動力となるものであり、成功哲学の不可欠の条件の一つなのである。


 このように、恋こそ人生の成功の源であり、繁栄の源なのである。それはまた、人生の文化であり、人生の営みそのものでもあるのである。


 恋の中から、幾つもの不死の生命が生まれてゆくのである。不死の輝きが生まれてゆくのである。不死の光が生まれてゆくのである。


 恋は不死を生むのである。永遠の生命の作品を生んでゆくのである。そうして、永遠の記憶を刻印してゆくのである。


 このように、恋そのもの、愛情そのものが、人生の恩賜である。エロスは永遠の美の源なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)