智徳を日々修めてゆけば、学徳によって、その功徳が心外に顕われてゆくのである。天地宇宙の真理を学び、魂の糧として己が心の内に蓄えてゆけば、徳の光が生命の輝きとなってゆくのである。


 徳を修めるということは、道を究めてゆくということでもある。道とは、万物を貫いている所の真理(法則)であり、この真理に則ることが、真なる智徳の要なのである。


 学問に光があるということが、真の学問の誉れである。学問を学ぶことを通して、人生が豊かになり、人生が大道に則るということが大切なのである。


 あくまでも、天地宇宙を貫く真理を学び、実践してゆく所に、真なる学問の本道があり、哲学の本道があるのである。


 「敬天愛人」の心を常に保ちながら、天道を敬い、真理を学び、思索して、自らが悟得した真理を周りの方々に施してゆくことが、哲人の天命である。


 この真理を修めてゆく功徳というものは、後世の人々に、子孫にまで成果を遺すものである。


 歴史に遺るような偉人哲人となってゆくのが、本来の学問の理想である。先人の哲学・学問の成果を継いで、自ら哲学・学問を修め、著述し、発表して、それを後輩に継いでいってもらうということが大切である。


 真理の法灯というものは、歴史を貫いて継承されてゆくものである。かの福澤諭吉の真理の法灯であっても、様々な形で受け継がれ、後輩へとつながれてゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 自己の運命を「立命」してゆくということは、即ち、善業を積んでゆくということである。


 善業を積んでゆくということは、人々のため、世の中のためを念って、利他の心を持って、努力精進してゆくことである。己が考え方において、善き哲学を、善きフィロソフィーを持つことである。


 その上で、熱意を持って、情熱を持って、日々、努力精進してゆくことである。


 「因果応報の法則」は、100%、実人生の中で実現してゆく。自分自身の思念の業が、現在の自分自身の人生を創っているのである。また、未来の自分を創ってゆくのである。


 故に、自らが発する一言一言を常に反省しながら、善業を創ってゆくことである。
己が心を理性で統御しながら、利他の心を習慣にして、常に把持しつづけてゆくことである。

 

 このようにして、常により善き願望を持ちつづけて、「大いなる夢」を実現してゆくことこそが、真なる成功哲学の核心なのである。


 大いなる夢の実現のためには、明確な目標を持って、善き願望を持って、そのために、日々、誰にも負けない努力精進をしつづけてゆくべきである。


 「努力即幸福」である。「努力即楽しみ」である。常に仏教で云う所の「精進波羅蜜多」を実践してゆくことである。


 日々、感謝と幸福感に満たされて、努力精進してゆけば、必ず夢は叶うのである。夢は実現してゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 


 


 運命というものは、前世の業が現象化したものもあるが、さらに、今世における思念の業、行いの業が現象化して、成功や失敗となって現われるものもあるのである。


 故に、成功してゆく思念の業を創り、失敗してゆく思念の業をよくよく反省して、除いてゆくべきである。さらに、浄化して、光に変えてゆくべきである。


 真に成功してゆくための基は、利他の実践にあるのである。人々のために、世の中のために、愛と慈悲の心を持ちつづけ、利他の心を持ちつづけ、それを実践してゆけば、自然に成功と繁栄と健康と幸福が得られるのである。


 たとえ悪い運命が占いで予言されていても、善き思念と利他行の実践によって、善き運命のみが起こることもあり、良い運気の時には、さらに良き運命が起こるのである。


 このように、たとえどのような運命であっても、自らの善き思念と利他行の実践によって、「立命」してゆくことが出来るのである。


 「因果応報の法則」は、全ての人の人生の中で、必ず実現されているものである。まさしく、「善因善果」、「悪因悪果」である。


 利他の思いと行いは、人生において、必ず報われてゆくのである。利他の思いと行いは、成功と繁栄と健康と良縁の源なのである。


 稲盛和夫氏が一貫して説かれていたように、誰にも負けない努力をしつづけ、精進しつづけ、日々、反省し、感謝し、利他行を為しつづけてゆけば、必ず成功し、繁栄してゆくのである。何故なら、それが、「宇宙の法則」だからである。

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)