智徳を日々修めてゆけば、学徳によって、その功徳が心外に顕われてゆくのである。天地宇宙の真理を学び、魂の糧として己が心の内に蓄えてゆけば、徳の光が生命の輝きとなってゆくのである。


 徳を修めるということは、道を究めてゆくということでもある。道とは、万物を貫いている所の真理(法則)であり、この真理に則ることが、真なる智徳の要なのである。


 学問に光があるということが、真の学問の誉れである。学問を学ぶことを通して、人生が豊かになり、人生が大道に則るということが大切なのである。


 あくまでも、天地宇宙を貫く真理を学び、実践してゆく所に、真なる学問の本道があり、哲学の本道があるのである。


 「敬天愛人」の心を常に保ちながら、天道を敬い、真理を学び、思索して、自らが悟得した真理を周りの方々に施してゆくことが、哲人の天命である。


 この真理を修めてゆく功徳というものは、後世の人々に、子孫にまで成果を遺すものである。


 歴史に遺るような偉人哲人となってゆくのが、本来の学問の理想である。先人の哲学・学問の成果を継いで、自ら哲学・学問を修め、著述し、発表して、それを後輩に継いでいってもらうということが大切である。


 真理の法灯というものは、歴史を貫いて継承されてゆくものである。かの福澤諭吉の真理の法灯であっても、様々な形で受け継がれ、後輩へとつながれてゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)