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コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

人口問題、経済問題、少子化問題…。

すべての原因が女性の出生率に

あるかのような議論も多いようですけど、

 

そもそも女性は子供を産むためだけに

存在しているわけでもなく、

不安定な雇用状況であろうとも、

経済的な補償がなされていなかろうとも、

 

それらを踏襲してでも、それらを凌駕するような

魅力を備えた男性が出現すれば、

男女は自然に結ばれ、自然に子宝に恵まれる

という流れがアタリマエであったのなら、

 

多くの問題は解決できていた、あるいは、

解決できるものであるというのが

アタリマエでもあるようにも思われます。

 

となると、現代には、それらを凌駕できるような

男子が減少しすぎて希少となってしまっている

という現実があるのだとも考えられるのです。

 

魅力的な男子が、素敵な男性が、少なすぎることが、

人口問題、少子化問題、経済問題等々の

根源にあるのかとも思われます。

 

いっこくも早く、魅力的な、素敵な、男子が、

ごろごろと、出現することが望まれるようにも

思われなくもないような気もしないでもないのです。

 

「いかなる企みも、民主政治のもとでは法と正義にまさる力を持ち得ない。」

(アイスキネス「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

民主政治というものは、

おサルさんのような知能で

醜卑で悪徳に満ちた人々が、

絶対多数で可決したルール

つまりは法律のうえに成り立ち、

 

また、民主主義とは、

おサルさんのように稚拙で、

卑俗なる品性知性の持ち主が、

絶対多数において容認した低俗なる

マナー、ルール、倫理つまりは

正義の上に成立する社会である

とも考えなくてはならない、あるいは、

考えられるような、または、考えられても

しようもない体制であると仮定するのなら、

 

民主政治においては、いかなる善なる法も、

いかなる善である思考も、正義の企みも、

その民主政治が似非(えせ)であったり

虚構であったりするのならば、

正当化されることは許されない

ということになってしまうのかも知れないような

気もしないでもないのです。

 

「民主制国家においては、ごくふつうの市民といえども、法律と投票権によって王としてふるまえる。」

(アイスキネス「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

民主制国家、それが似非であったり、

それが虚構であったりする民主制国家においては、

怠慢とか道楽者、嘘つきとか虚栄とか虚飾に塗れた

まるで「七つの大罪」のどれかに、あるいはすべてに、

あてはまってしまうような市民といえども、

インチキチャンチキな法律と、バラマキ的投票権によって、

まるで王の如くに基本的人権は保障されている

ということなのかも知れません。

 

「そもそも我々が知る限り、アテナイ人以外には民主政によって発展した者はなく、アテナイ人だけが民主政によって大をなしたのである。彼らは持ち前の知力で全ギリシャを凌駕し、いささかも既存の法を破ることはなかった。」

(パウサニアス「ギリシャ案内記」)

 

民主政、民主政治、民主主義によって、

なにかを成し遂げるには、

アテナイ人なみの知力が必要

となるようです。

 

乱暴なことを申し上げてしまえば、

よほどの知力を備えた国民、または

国民の平均知力が、よほど、高くなければ、

民主政下において、

なにかを成し遂げることなど、

不可能に近いということなのかも知れません。

 

知力の低い国民が、民主主義などを標榜したところで、

それは「みんなで不幸になりましょう」と

称えているだけであるようにも思えてならない

ような気もしないでもないようにも

考えられたり考えられなかったりも

するような気もしないでもないのです。

 

「年収103万円の壁」

 

その先には税収だとかなんだかとか

いろいろ御託を並べてはいるけれど、

本来なら、

議員の数と報酬を削減するとか、

なんだったら公務員の年収も、

常識的に、貧困層にある国民に

寄り添うかたちの金額に抑えるとかが、

先決であるようにも思われなくもないのです。

 

「民主主義がそれほどに信ずるべき思想であるのか。民主制に対して懐疑派と呼ばれる人々のもつ自由こそが偉大な精神をもつ人々の心を養い、希望で満たされ、また同時に競争心を呼び覚ますことができる、と言われているからなのだ。」

(ロンギノス「崇高について」)

 

多数派になびくような人、

流行に敏感な人、

行列に不快感を抱かない人等々、

民主主義の表象とも

思われる傾向をもつ人々に比べ、

少数派である人、

流行に逆行することに違和を感じぬ人、

行列を不快であさましく

醜態で、卑屈ささえ抱いてしまう人々の精神は、

気高く、希望的であり、同時に、

競争にも勝利をもたらす才を見出すことが、

できるような、そうでもないのかも知れないような、

気もしないでもないのです。

 

「そもそも人々が寡頭制より民主制のもとで暮らしたがるものはなぜかと探ろうとすれば、いちばん手っ取り早い答えは、民主制の方があらゆる点でより寛容であるということなのであろう。」

(デモステネス「弁論集」京都大学学術出版会)

 

民主制の寛容さとは、

連続婦女暴行殺人の容疑者を、

徹底追及することなしに、

逮捕もせず野放しにしている悪徳性であり、

 

民主制の寛容さとは、

背任汚職横領等々の疑惑をもたれた政治家を、

再当選させ、挙句の果てには

大臣にまで押し上げてしまう傲慢さであり、

 

民主制の寛容さとは、

寛容とは正邪問わぬことと

寛容の意味を曲解し、

寛容と悪徳を共存させる傲慢

であると断じても何ら問題も

ないようにも思われなくもなく

考えられるようにも思ったとしても、

気が気でもないような気も

しないでもないのです。

 

「しかし、あなたたちに益をもたらすのは、寡頭制でも民主制でもない。そのどちらでもなく、もしあなたたち自身に益をもたらさないのであれば、弱者でも富める者を罰してもらうことができる、ということこそ有益なのである。」

(デモステネス「弁論集」京都大学学術出版会)

 

必要以上の富を有する人は、

必要以上の悪徳も有する、あるいは、

過去に一度や二度に限らず、何度かの

悪徳に身を染めたことがある

とみなされてもしようがないようにも

考えられなくもないとも

思われる場合もあるのかも知れません。

 

理不尽な困窮におかれている人の富は、

理不尽な方法により理不尽に悪徳をはたらいて

富を得た人へとわたった可能性があるいじょう、

貧者、弱者は、必要以上に富を有する人々を

罰してもらう権利があるとも考えられなくも

ないようで、そうでもあるのかないのかは、

個人の思考云々に課せられているような

気もしないでもないのです。

 

余命宣告を受けている僕のような老いぼれで

まさしく死にそうな男の周囲においても、

 

闇バイトから強盗殺人へと

つながる一連のフローについて、

海外の友人知人、日本在住の外国人たちをも交えて、

しばし討論会のような状況が勃発しました。

 

結果は一様に、

日本人のIT、AI、SNSに関する危機意識、

日本人の犯罪に対する危機意識と

日本政府の危機管理能力の稚拙さを

指摘されるものとなりました。

 

「すべては多数派民衆を幻惑するための虚言にすぎず、実際には変革を実行した者たち自身が国政国益を独占しようと企んでいる。」

(トゥキュデュデス「歴史」)

 

変革を称える政治家も、

変革を称えない政治家も、

どちらにしても、政治家、官僚たる者、

すべては民衆を騙すための

絵空事、虚言、戯言(たわごと)を並べ立て、

実際には彼らの私腹、権力を

増大させることばかり考えている

と考えて、間違いはないようにも

思われなくもないのです。

 

「そもそも、このコンピューター社会の基本理念であるところの『便利』という思想、これが諸悪の元と言える。」

(池田晶子「暮らしの哲学」)

 

政治家、官僚が

推奨または強制するところの、

コンピューター社会の便利は、

安易な思考、稚拙な判断を

国民に植え付けるのに便利

ということなのでしょう。

 

結果、安易な思考、稚拙な判断を備えた

おバカの表象のような国民が増え、

無秩序、無神経、格差、犯罪に塗れた

社会が実現するということになり、

これは政治家、官僚にしてはしめしめで、

彼らがいいように私腹、権益を

増大させるための、絶好の機会とも

なりうるような気もしないでもないのです。

 

国民はコンピューター社会になったせいで、

時間を短縮できたりいろいろ便利に

なった代償として、幸福がなんであるかを

見失っていくのかも知れません。

 

「貧乏人、普通人、弱者といったような者が多数者となり、恵まれた状態にあると、民主制は促進される。」

(クセノフォン「アテナイ人の国制」)

 

先進諸国全般の現在の

情況であるのかも知れません。

 

恵まれないと思われるような人々が、

なんとか恵まれた境遇を

保っているように思われるのなら、

民主制は否定されない。

しかしながら、後進国つまりは、

貧乏人、普通人、弱者といった人々が、

明らかに恵まれてはいないと

思われるような状況に陥れば、

民主制は否定され、革命、暴動のような

とんでもない状況が出現してしまう

ということであるのかも知れませんね。

 

「しかし、幸福の何であるかがわからなくなっている現代人は、やっぱりどこまでも勘違いを持ちまわる。

コンピューターの影響で、便利さ、時間の短縮、節約を奨励して、将来のために貯蓄した時間を、今度は逆に、引き伸ばそうとしている。

 

いかに時間を遅らせるか、それがアンチエイジングという思想なのであろう。あれは、生きるとはすなわち老いることだという自然を真っ向から否定する思想である。

 

老いることすなわち生きるということを否定する思想が、どうして幸福をもたらすことができるとでもいうのであろうか。」

(池田晶子「暮らしの哲学」)