コラム・インテリジェンス -30ページ目

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

パワハラだ、カスハラ、セクハラ、

モラハラ等々……、〇〇ハラが多すぎて、

はらはらしてしまう…ではなくて、

その対極に当たる情動についての

言葉も議論もなされていないようにも思わます。

 

何事も両者の言い分を聞く、

というスタンスを貫くのなら、

もう少し、パワハラされないための議論であるとか、

 

カスハラされる人の傾向と対策、

ハラスメントを受ける人々の

情動と言葉遣いであるとか、

その根底にある人格的、品格的、

知的レベルの検証もしていくことで、

 

〇〇ハラの統合的解決策も見出して、

ゆけるような気も

しないでもないのです。

 

「技術者たちよ、技術を産むことのできる者と、技術がそれを使用する者たちにどのような害や利益を与えることになるかを判断できる者たちの才とは全く別なのだ。」

(プラトン「パイドロス」)

 

ITだAIだプログラミングだのと

能書きをいう人々は、自分たちが所詮、

技術者なのだということを

忘れてはならない、あるいは、

忘れないでほしい。

 

技術を産むことのできる才を

持つ者の数は多く、その技術の真価を

判断できる才を持つ者の数は少ない。

 

「誰にもわかりやすく、もっともらしさによって証明を行っている議論は、ほら吹きであって、倫理学や幾何学においても、人はそういう議論には用心していないと、すっかり騙される。」

(プラトン「パイドン」

 

ほら吹きではない議論、あるいは、

真実を語るような議論は、

誰にもわかりやすくはなく、

もっともらしくもなく、

小難しく面倒くさい、ということに

なるのかも知れません。

 

「そなたらはなぜ野望という、神々の内で最悪の神を追い求めるのですか?おやめなさい。それは不正な神なのです。」

(エウリピデス「フェニキアの女たち」)

 

昨今では、野望という言葉が、

まるで希望とか夢であるとか、

善いようにも用いられる場合も

あるようです。

 

しかしながら、誰もが、

少しでも立ち止まって、

少しでも深く考察するならば、

野望には陰謀とか調略とか、

人を欺き、人を傷つける因子も、

含まれていることに気づくはずです。

 

野望などなくても善い。

野望など抱かなくとも、

研鑽と努力により、夢は実現し、

希望はいつでも、その先に、

見え隠れしているようにも

思われなくもないのです。

 

「慎重であること、これこそが真の勇敢さである。」

(エウリピデス「嘆願する女たち」)

道行く人の表情を観れば、

ある程度その人の

人格、品性、知性が

読み取れるような気も

しないでもないのです。

 

柔和な表情の人は、

人格、品性、知性それそれが、

それほどとんでもないものである確率が

低いようにも思ってしまうし、

 

道行く人で無表情あるいは無愛想または

不快感をあたえるような表情の人の

人格、品性、知性はそれぞれに、

卑しく下劣で悪徳に塗れた人であるような

気もしてしまいそうな気も

しないでもないのかも知れません。

 

前者はなにげなくやり過ごしても問題は

ないようにも考えられますが、

後者にいたっては油断してその表情を

直視などしてしまえば、

我々の心はそこから当分、

不快感に苛まれる場合もあるので、

 

そのような表情の人を見かけたら、

見かけたら見ないようにしたほうが、

というのもヘンな矛盾を含んだ主張

であるかのようにも思われますが、

 

とにかく、そのような表情の輩を

見かけそうになったら見ないように

したほうが、賢明であるようにも

考えてしまったり、そうでもなかったり、

 

とにかく、他者に不快感を与えるような表情で

公道を歩くような、無神経な、無知で傲慢な

輩は見たくないというのが、老いぼれの、

愚老の欲望であったりなかったりも

したりしなかったりも、するような、

しないような、そうでもないような気も

しないでもないのかも知れません。

 

「その名称について議論するのではなく、その名称の意図するところについて議論すべきである。」

(リュシアス「弁論集」京都大学学術出版会)

 

「〇〇年に何々が起こったか」などと

〇〇とか何々を覚えることを

推奨するような現教育体系には、

まったく意味も有効性も認められず、

どうして起こったのか、いかなる状況において、

「〇○年に何々が起こった」のかを

議論することの方が、はるかに

合理性、論理性、コミュニケーション能力も、

高めることが期待できるとも考えられます。

 

「名声という報酬を受け取るたびに、良心の自律が減少する。」

(ポエティウス「哲学のなぐさめ」)

 

エライ人にマトモな人は少ない。

エライ人またはエライ人になってしまった人は、

どこか常人よりも劣る因子が備わってしまう

ようにもお見受けしております。

 

「苦しく不幸に至る道はたやすく、栄誉に至る道はけわしい。」

(クイントス・スミュルナイオス「ホメロス後日譚」)

 

怠慢に塗れ、勉学にも努力を惜しみ、

体力づくりも疎かにするような道は、

たやすく楽ちんではあるけれど、

必ず苦悩と不幸が待ち受けており、

 

学問にも体力づくりにも心血を惜しまず、

努力に努力を重ねるような生き方は、

けわしく難解で、苦しく孤独ではあるけれど、

必ず栄誉栄華と至福を手に入れることが

できる、ということなのかも知れません。

 

「権力者、成功者に対する民衆の好意の証拠として、過剰な栄誉授与ほど当てにならないものはない。」

(プルタルコス「デメトリオス/英雄伝」)

 

紫綬褒章、黄綬褒章、文化勲章等々、

読み方も意味もいまいちピンとこない。

だいたいにおいてそもそも叙勲(じょくん)

という読み方も意味さえも、いまいち

ピントこない、という人も、けっして、

少なくもないようにも思われなくもない

ような気もしないでもないのです。

 

「名誉ほど虚しい賞讃はなく、名誉欲ほど、名誉とはほど遠い人が求める欲望もない。」

(プルタルコス「モラリア」)

 

 

「午後の数時間をマックの安いコーヒー一杯で、

 数名の男が店内で群れて盛り上がっている。

 聞こえてくる言葉は、『マジっ!1』『ヤバッ!』の間に、わずかに固有名詞が入るだけである。

 これだけで数名の働き盛りの男が群がり盛り上がれるという光景と男たちの知能レベルこそ、いと嘆かわしきことどもなり。」

(女性/30歳・看護師)

 

老害と若害、どちらが多用され、

どちらが将来的問題とされ得るのか。

 

天災と人災では、どちらに悪徳性が現れ、

どちらを将来的命題として捉え得るのか。

 

まあ、迷惑な人、不快な事象は

数え上げればきりもないけど、

嘆かわしいのは、それよりも

爽快な話、愉快な話、心温まる事象が、

なんとも少なすぎることであるようにも

思われなくもないのです。

 

「無知は慎重を伴えば、傲慢を伴う機敏よりは有益である。」

(トゥキュディデス「歴史」)

 

僕の部下たちは、当初はアタリマエに

無知でありましたが、現在では一様に皆、

キー局のプロデューサー、編成部長等々、

要職に就かせていただいているようです。

 

彼女たちは一様に無知でありながらも、

一様に慎重な娘たちでもあったようです。

 

慎重な娘たちが、人生の先輩である僕の、

言葉一つ一つを慎重に吟味し、

分析し、会得し実践し続けた結果、

無知なる娘から才ある女性へと

みごとに変貌を遂げたというようにも

思われなくもないような気もしないでもないのです。

 

僕のような無知な男の言葉一つ一つでも、

慎重に聞き取り、吟味し、体得しつづけた結果が、

彼女たちのスキルを高め続けている所以(ゆえん)で

あるとも思われると思い込めば、嬉しくもあり、

そうでもないようでもあり、

 

最近では末期がん緩和医療の一環として、

死期が近づいているバロメーターのように、

医療用麻薬の質量が増え、頭はさらに朦朧として、

ただでさえおバカなジジィの言葉は、

そのバカさ加減、支離滅裂度数も驚異的に

高まり続けているとも考えられもすれば、

思われもするような状況でもあるようです。

 

たとえ無知であっても、他者の言葉を慎重に

見聞きし続ければ、

才ある者どもをも凌(しの)ぐ存在となり得る。

 

「最高の愚かさとは、ただ知らないだけでなく、知らないということそれ自体を知らないことである。」

(プラトン「ティマイオス」)

 

実はこのような人が多いようにも思われます。

単純に言ってしまえば、我々は何も知らない、

我々は宇宙の塵(ちり)一つ、完全に

理解できているわけではない、ということに、

気づいていない人が、あるいは、

そのようなことさえ、考えようとも

しない人々が、多いのかも知れません。

 

このように、傲慢な人々が多く、

存在するような社会が、けっして

より良い社会であるはずもなく、

このような人々が増え続ける社会は、

結局は破滅へと向かっているのかも知れません。

 

「知恵ある者には哀れみの心が備わるが、無知なる者には哀れみの心が欠けている。」

(エウリピデス「エレクトラ」)

 

現代社会においては、思いやり、いたわり、

哀れみ、慈愛、博愛の心が

欠如している、ということは、現代社会には、

無知なる者が多く、知恵ある者は少なく、

それゆえ、マナー、ルールを守れぬ者、

弱者をいたわれぬ者が増殖してしまっている

ということが言えるようにも思われます。

 

「この男は何も知らないのに、何かを知っていると思っているが、私は何も知らないので、その通りにまた、何も知らないと思っている。」

(プラトン「ソクラテスの弁明」)