コラム・インテリジェンス -26ページ目

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

皆さん方が死ぬ確率は10人に1人にも増え、

皆さん方の仲間の出生率は

一年に70万人にも及ばず、

僕が仲間に入ろうとしている死者たちは、

一年に800万人くらいづつ増え続けている

という現象を見聞きしなくても、

人類滅亡説の現実味は感じられるようにも

思われなくもないのです。

 

10人に一人が死んでしまい、その数は、

年間800万人にも及び、それに対して、

生まれてくる人が

年間70万人にも及ばぬのでは、

どう考えたって、人類の未来が明るいとは、

拷問されてもワイロをつかまされても、

うそをつけといわれても言えないような

状況にあるといわざるを得ぬような、

なんならイワザルではなくテナガザルでも、

ニホンザルでも言えないようにも

考えられるような気もしないでもないのです。

 

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 

ここは誰にとっても

問題もなさそうであるようにも思われます。

 

第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 

ここも

準用されていなくては困る

という程度の条項であるようです。

 

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 

こんな条項は、現代においては、

あまり意味もない条項であり、

こんな条項のために、いちいち、偉そうに、

任命式などを行っている場面を見れば、

総理大臣に任命された者だけが、

ひとりでいい気分に浸っているだけのような

気もしないでもないのです。

 

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 

ここは我々も日常的に天皇が、

メディアに登場する諸々のイベントの

ことであると理解していれば

十分であるようです。

 

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

これが我が国においては、

日常的、一般的、国会的に

議論の的となっているようです。

 

いわゆる「九条問題」

 

九条においても、

「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては」の部分が、

とりわけ必要に、または、

取り分けて必要とする以上に

なのかはわかりませんが、

 

それなら

「国際紛争を解決する手段としては」

の部分。

 

直接的に「国際紛争を解決する手段」

としてではなく、

「我が国の防衛が国際紛争に結び付く、あるいは我が国の防衛自体が、間接的に国際紛争を解決する手段」に結び付く場合であるなら、

「武力による威嚇又は武力の行使」は、

正当化されるのか否か。

 

まあ九条においては、

揚げ足の取り処満載といっても

よいくらいに多くの議論が

際限なく続いているようですが、

 

また、それがアタリマエで、

その議論がいいかげんであったなら、

あるいはその議論がなされなければ、

またはその議論が打ち切られた場合には、

それこそ間違いなく恐ろしい状況が

待ち構えていると考えられます。

「辞世」を書き終えてしまったあとの

「オバケ」ではなく、

「オマケ」として記させていただくのは、

 

いまさらながらの

憲法/日本国とその国民にとってのお約束事。

 

憲法は我が国の最高法規とされているけど、

なんていうことはないたったの103条で

記されているようです。

 

当コラムのシリーズものでは

100稿くらいはアタリマエで、当該コラムの読者であれば、

日頃、いつものように

当コラムの1シリーズを読むくらいの気軽さで、

簡単、楽ちんに、我が国の最高法規である憲法を

完読制覇することも可能であると判断いたしました。

 

憲法は最高法規といわれるくらいに重要で、

これを武器として使えるということは、

そんじょそこらの

えらそうな“専門家”程度の人物となら、

真剣に議論することも

可能であるとも思われたのでした。

 

なんてったって、たかが103件くらいの

能書きを理解、曲解、誤解するくらいは、

超お気楽な学習案件であるとも

考えられもしちゃっているのです。

 

第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

ということは、

国民の意志を反映して

国民投票なんかを実施しちゃうのなら、

天皇の動向さえ我々国民の意のままに

なるとも考えられなくもないのです。

 

裏金、横領、賄賂、収賄等々が

はびこる現行の税金の取り扱い方を考えるなら、

国民投票にかかる費用を税金で賄うくらいは

日常的に投票ができるくらいの

国家予算でもあるのかとも

思われたり考えたりもしています。

 

第二条

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

この国会というものが曲者で、

国会議員なる者を選んだ国民自身が、

それぞれの知識と経験、人間的スキルによって

選んでしまうわけなのだから、

国会議員なる者の知識と経験、人間的スキルも

それなりの者しか出てこない、ということに

なってしまっているような気も

しないでもないのです。

 

マトモな人間であるのなら、

選ぶはずもない人間を

国会に送り出す人間こそが、

その価値を迫られているようにも

思われなくもないような気も

しないでもないのです。

 

第三条

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 

さらには、この内閣とやらも曲者で、

たとえば、稚拙な人々が選択した国会議員の

さらにその稚拙な国会議員が、さらに

選択した大臣、内閣などというものが、

そもそもマトモなシステムであろうはずも

ないというのがマトモな人間の

見解であるようにも思われるのかも知れません。

 

一日毎日憲法を十条も二十条も

覚えろというのでは不可能であるようですが、

 

一日毎日憲法を1~3条くらいずつ、

覚えてゆけば、ついには日本国憲法を

完全に習得できたということにでもなれば、

 

これはもう挑戦しても損のない、いやそれ以上に、

挑戦すべきチャンスでもあると

考えられなくもないのです。

 

余命宣告を受けた人間が

挑戦しようとしている憲法全制覇への道、

ぜひ、ご一緒に、歩んでいただけるのなら、

これから死に逝く者にとって、

なによりの慰めとなるような気も

しないでもないのです。

 

生涯、年寄りと接触がないまま、

自らが年寄りになってしまう人も、

増えている、あるいは

増えつつあるのかも知れません。

 

「私は常に多くのことを学びながら歳をとる。」

(「ソロン/エレゲイア詩集」京都大学学術出版会)

 

人間は多くのことを

学びながら歳をとることも

大切なのかも知れませんが、

現実はそれでは足りない。

 

一日にいくつかのことを学ぶこと、

日々、常に学び続けることが大切であり、

その瞬間々々、学びを求め続けることが、

重要であるのかとも考えられます。

 

「勉強になった」というセリフが、

心の底から出てくるような、あるいは

「勉強になった」というセリフが、

心の底から出てくるような瞬間々々を

過ごし続けることを心掛けることも、

重要であるかのようにも思われるのです。

 

さて、私事、余命宣告を受けたのを機に

「辞世」などというタイトルを

シリーズ化しちゃってまいりました。

 

ところがいつまで待っても死なない。

 

明らかに、心身共にボロボロで、

まさに肺がん末期の状態でありながらも、

このようなブログだかコラムを

記し続けさせていただいちゃっています。

 

それでも心はいつも死と直面しているのです。

 

「露と落ち 露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

(太閤秀吉)

 

あの、太閤でさえ、あの、秀吉でさえ、

己の存在を露と見立て切っているのに、

ましてや、おこがましくも、はなはだ、

思い上がるのもほどほどにしろというくらい、

僕の存在にいたっては露以下、露以下なら、

何に例えればよいのやら、それさえ、

さだかでないちっぽけすぎる存在においては、

考えるにもおこがましい、

 

考えるにも思い上がりにもほどがあるというくらいに、

我が人生の末路は、我が命の末路は、

はかなくも露の雫以下の

最小単位のものであるのかとも考えているのです。

 

「露と落ち 露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 

いつもの

散歩コースでもある大学のキャンパスから

正門を出ようとした瞬間、

 

車椅子を押してくれていた女性が、ふと

「車椅子を回転させてもいい?」と言いつつ、

車椅子を方向転換、

 

車椅子の正面は大学の正門から

通り抜けてきたはずの路である大学キャンパスの

銀杏並木と向き合うこととなりました。

 

そこには実に絶景が広がっていたのです。

 

紅葉も最終局面を現し、

何枚かの葉はすでに散り始めていました。

 

ところが僕たちが車椅子を反転させ、

大学キャンパス内の銀杏並木と正対したその瞬間、

 

風もないのに、なぜか、

一瞬にして大量の葉が落ちてゆくのを

目撃してしまったのでした。

 

・・・さらさら さらさら・・・

 

大量の葉がいっせいに散って、

地面に落ちてゆくさまを、

僕は「かっこいい」「潔い」と感じていました。

 

さらさら さらさら ・・・ 

・・・ さらさらさらさら、さらさらさらさら・・・

 

これが僕の死生観、

僕の死生観のすべてだと悟った瞬間でもあったのです。

 

「露と落ち、露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 

お世話になりました。ありがとうございます。

 

追伸、まだ、生きています。