辞世102(了) | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

生涯、年寄りと接触がないまま、

自らが年寄りになってしまう人も、

増えている、あるいは

増えつつあるのかも知れません。

 

「私は常に多くのことを学びながら歳をとる。」

(「ソロン/エレゲイア詩集」京都大学学術出版会)

 

人間は多くのことを

学びながら歳をとることも

大切なのかも知れませんが、

現実はそれでは足りない。

 

一日にいくつかのことを学ぶこと、

日々、常に学び続けることが大切であり、

その瞬間々々、学びを求め続けることが、

重要であるのかとも考えられます。

 

「勉強になった」というセリフが、

心の底から出てくるような、あるいは

「勉強になった」というセリフが、

心の底から出てくるような瞬間々々を

過ごし続けることを心掛けることも、

重要であるかのようにも思われるのです。

 

さて、私事、余命宣告を受けたのを機に

「辞世」などというタイトルを

シリーズ化しちゃってまいりました。

 

ところがいつまで待っても死なない。

 

明らかに、心身共にボロボロで、

まさに肺がん末期の状態でありながらも、

このようなブログだかコラムを

記し続けさせていただいちゃっています。

 

それでも心はいつも死と直面しているのです。

 

「露と落ち 露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

(太閤秀吉)

 

あの、太閤でさえ、あの、秀吉でさえ、

己の存在を露と見立て切っているのに、

ましてや、おこがましくも、はなはだ、

思い上がるのもほどほどにしろというくらい、

僕の存在にいたっては露以下、露以下なら、

何に例えればよいのやら、それさえ、

さだかでないちっぽけすぎる存在においては、

考えるにもおこがましい、

 

考えるにも思い上がりにもほどがあるというくらいに、

我が人生の末路は、我が命の末路は、

はかなくも露の雫以下の

最小単位のものであるのかとも考えているのです。

 

「露と落ち 露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 

いつもの

散歩コースでもある大学のキャンパスから

正門を出ようとした瞬間、

 

車椅子を押してくれていた女性が、ふと

「車椅子を回転させてもいい?」と言いつつ、

車椅子を方向転換、

 

車椅子の正面は大学の正門から

通り抜けてきたはずの路である大学キャンパスの

銀杏並木と向き合うこととなりました。

 

そこには実に絶景が広がっていたのです。

 

紅葉も最終局面を現し、

何枚かの葉はすでに散り始めていました。

 

ところが僕たちが車椅子を反転させ、

大学キャンパス内の銀杏並木と正対したその瞬間、

 

風もないのに、なぜか、

一瞬にして大量の葉が落ちてゆくのを

目撃してしまったのでした。

 

・・・さらさら さらさら・・・

 

大量の葉がいっせいに散って、

地面に落ちてゆくさまを、

僕は「かっこいい」「潔い」と感じていました。

 

さらさら さらさら ・・・ 

・・・ さらさらさらさら、さらさらさらさら・・・

 

これが僕の死生観、

僕の死生観のすべてだと悟った瞬間でもあったのです。

 

「露と落ち、露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 

お世話になりました。ありがとうございます。

 

追伸、まだ、生きています。