コラム・インテリジェンス -27ページ目

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

アマゾンで商品を購入し、アマゾン配送で

届けられるはずの「置配」商品は、

同じマンションの同じフロアの3件隣の

「玄関前」に「置配」され、

履歴には「配達完了」となっていました。

 

出前館で注文した料理が、

到着予定時間を過ぎても届かないので、

問い合わせたところ、

「『配達済』になっております」

という返答を頂いちゃいました。

 

挙句の果てに「闇バイト」で

80歳で一人暮らしの老婆に

若い男性数名がよってたかって強盗拷問殺人の

狼藉を犯す等々、現代の若い男性の真相が、

わかりづらくなってきているようにも思われます。

 

もちろん、マトモな人が

圧倒的に多いはずであろうことを願いつつも、

 

現代の若い男性の実相とは?

彼らに真実の愛があるのかどうかさえ、

見え難くなってきているような気も

しないでもないのです。

 

「きわめて重大な事件はしばしばほんの些細なことから生じている。」

(ポリュピオス「歴史」)

 

「歴史の神」と崇められる

ポリュピオスの言葉だからこそ、

重みと真実が感じられるのかも知れません。

 

じっさい、われわれの人生における

重大な事件とか過渡期は、

あとで考えてみれば、往々にして

ほんの些細な事象、心象に

起因していることが

ほとんどであるようです。

 

その些細な事象、心象を見逃さず、

自分の人生の歴史のひとコマであると

とらえ、その前後の事象、心象と

照らし合わせながら、自分の人生の、

細々とした種々取捨選択を行ってゆくのが、

至福とか幸福、成功へと導いていく

秘訣であるとも考えられなくもないのです。

 

「過去に起こった類似の事例を現代に移し変えることによって、未来を予見するための基礎と材料が得られる。」

(ポリュピオス「歴史」)

 

過去から現在までの知識を

目の前の事象に当てはめ、

そこに自身の経験と現在の

社会情勢を代入することによって、

目の前の事象に対する最善の

戦略を打ち立てることができる

ということのようにも考えられます。

 

思えば、数学の代数学も、

それを得意とするまで修練しておけば、

人生において、自分の人生を構築することにおいて、

目の前の事象の最善策を見出すことにおいても、

代数学がどれほど重要であったのかが、

理解できるのかとも思われます。

 

「労働は不名誉ではない。働かないのが不名誉なのだ。」

(ヘシオドス「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

近年ではこれを理解していない男子が

増えているようにも思われます。

 

自分に合う仕事かどうかなどという能書きは

後回しにして、とりあえずは何でもいいから、

なにかしらの仕事に従事すること。

 

そこからでなければ名誉も不名誉も、

夢も将来もあったものではないのかとも

考えられなくもないのかも知れません。

 

不言実行(ふげんじっこう)

男なら能書きは言わずに稼いでなんぼ。

男は徒手空拳(としゅくうけん)、

自分の力で稼いでなんぼ。

男の値打ちはそこで決まるという見方もある

という風潮もあるのだと

しっかり自覚して歩んでゆきたいものである

とも考えられるような気もしないでもないのです。

 

余命宣告を受けてからはや、

半年以上が経過しています。

 

心身共に、死に近づいている

という自覚はありますが、

こうしてなんとか日々、自らの

コラムを書かせていただけるくらいの

元気は残されているようです。

 

当コラムはどちらかといえば、

「意識高い系」の人にではなく、

本当の意味での「意識の高い人」向けに、

記させていただいているつもりでしたが、

 

最近では「メンタルやばい」系の人にも、

「力になっている」という声も

聞こえてきたりこなかったりしてもいるような

けっしてそんなことはなかったりも

しているような気もしないでもないのです。

 

まあなんにしても、

トラディショナルな言葉の衰退と

トレンドにのった言葉の隆盛にはおおいに

戸惑いながらもなんとか言葉を紡いでいる

という状態ではあるのかも知れません。

 

「プラトンの書物を読むと輪廻転生説がでてくる。輪廻転生説は仏教だけのものではなく、アジアで生まれ、一部はギリシャへ、一部はインドへと渡来した。」

(「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会/西洋古典叢書編集部編)

 

キリスト教でいうところの

天国、審判、復活の日等々の

説を信じるのか、はたまた

仏教的に、あるいはプラトン的に、

輪廻転生を信じるのか、

ココでは僕は、そのどちらでもなく、

どちらかというなら、あるいは例えば、

ストア派のような、生前に、人生において、

善き行いを貫けば善き死を迎えられる

というほどの考え方を信奉しているという

立場なのかも知れません。

 

「むしろ神は動のきっかけを与えるだけであって、一人ひとりの巫女がそのつど動かされてその本性にふさわしいものを作るというのが我々の見解である。つまり、少なくとも声は神のものではないし、発話も語法も韻律も神のものではなく、神託を語る当の女性のものである。神は彼女の心の中にイメージだけをもたらし、未来を照らし出す光をその魂の中に灯す。じっさい霊感とはこういったものなのだ。」

(プルタルコス「モラリア」)

 

むかし、霊感をもつといわれている女性と、

共に暮らしていた時期もありました。

 

僕は霊感そのものをまったく知らないけれど、

彼女の私生活はまったく正であり、一般的にも、

 

清廉潔白なる生活を体現している女性が、

清廉潔白なる正義の思想を身に付け、

 

瞑想により一点の曇りもない思考に

辿り着いた瞬間に発せられる言葉が、

御神託とよばれるものであるのかなぁ…

…くらいに理解しているつもりではあるようです。

 

「人間にとって過去のできごとを知ることは、自らの行いを正すための最も手近な方法である。」

(ポリュピオス「歴史」)

 

あらゆるデータは過去のものである。

未来と今この瞬間のデータがないのであるから、

アタリマエに過去のデータから、

それを導き出す以外に手近な方法は

ないともいえるのかも知れません。

 

歴史を学ばぬ人は、過去のデータを無視して、

未来も今この瞬間も自分だけの思い込みで

生きていこうとしているに等しいわけですから、

そこから成功なり至幸なりへと結びつく確率も、

ほとんどゼロに等しいといわざるもなければ、

いわ猿がなければオス猿もメス猿もない

ということになるようです。

 

「現実的歴史から得られる経験こそは、実生活のための最良の教育なのだと理解できなければならない。」

(ポリュピオス「歴史」)

 

僕のような老いぼれジジィもパーカーは

愛用させていただいちゃっておりますけど、

 

その老いぼれバーカーじじぃでも

言わせていただけるのなら、

 

パーカーおじさんを批判した女性に対して、

なんらかの反応を示すことが、

あの女性の思惑通り、彼女の知名度を

上げることにもなってしまうような気も

しないでもないのです。

 

パーカーじじぃでさえ、

相手にしたくないような女性は、

その辺りに放置しておくのが

ベストであるとも考えられなくもないのです。

 

「一般的に、動物が理性を分け持つことを哲学者たちが論証する際の証拠は、動物に備わる、目標や準備や記憶や感情、子供への配慮や快適さへの喜び、痛みを与える者に対する復讐心、さらには、必要なものを見つける能力、勇敢さや協調性や自制心や度量の大きさなどの徳の表出なのです。」

(プルタルコス「モラリア」)

 

一般的に、動物というと、

何を思い浮かべるでしょう。

犬と人間、猿と鳥、猫と人間、馬や羊、

牛やトナカイ等々を、思い浮かべる人も、

いらっしゃるのかとも考えられます。

 

たとえば馬と人間を思い浮かべても、

馬にも厩から出る目標や準備、

牧場内の

どの辺りの草が美味しいのかという記憶や感情、

子供への愛情と配慮もアタリマエだし、

厩を快適にしてもらった歓びとか

自分に痛みを加えた人間に対する復讐心、反抗心、

必要なものをみつける能力、

勇敢さや、他の馬と仲良くしようという協調性と

自制心や度量の大きさを示す徳とよばれるような

才覚を備えた馬もいるようにも思われます。

 

これでは馬と人間はたいした違いも

ないようにも考えられますが、

なかには自制心や

度量の大きさなどという点においては、

馬のほうがむしろ人間よりも優れている

という場合もあるのかも知れません。

その馬とあの人間を比べれば、

はるかにその馬の方が優秀であったり、

 

なんだったらあの人のスーツを馬に着せ、

その馬のたてがみと尻尾を

あの人にくっ付けてしまっても、

なんら問題もないような事例も、

多く確認されそうな勢いでも

あるような気もしないでもないのです。

 

「ストア派(始祖ゼノンやディオゲネス、アウグスティヌス帝等々当コラムにおいては主軸においている哲学学派)やペリパトス派(始祖アリストテレスは有名だけど当コラムにおいてはその思考思想的にも個人的にもそれほど感銘共感されているともいえない哲学学派であるのかもしれません)の人々は、これに真っ向から反論している。つまり、もしすべての動物に理性が備わっていたら、正義は完全に形を失い、実質を失うが、正義はそれ以外の在り方を保てないのだと主張しているのだ。」

(プルタルコス「モラリア」)

 

動物の世界に

理性が存在するのかどうかは、

僕にはわかりませんが、

動物と人間の間には、

確実に正義は

存在しているようにも思われます。

 

もし動物に理性が存在しないのであっても、

これに関わる人間に

強い正義感と理性さえあれば、

十分にその正義はその在り方を

保てるような気もしないでもないのです。

 

「ひとりひとりの心のなかに住む良心よりも手ごわい証人はなく、恐るべき告発者はない。」

(ポリュピオス「歴史」)

 

事件、犯罪は本来なら、

その証人とか告発者によって

暴露されるようなものではなく、

それぞれの人の良心によって、

それぞれの人の良心が裁かれる

というシステムであったほうが、

より人間の美徳性が問われますし、

より平和な社会も期待したいような

気にさせてくれそうな気も

しないでもないのです。