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コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ

〈紀友則(きの・とものり)/百人一首〉

 

こんなにも日の光がのどかに降り注ぐ春の日に、

心穏やかでもなく、どうして桜の花は

散ってゆくのだろうか。

 

花が散るということは、

死の象徴でもあるようです。

 

穏やかな日の象徴としての春の日、

死の象徴としての花が散る様子。

 

この対比の不思議は、

人の世の、万物の、象徴とも

いえるような気もします。

 

そしてこの句と対比する句として、

この句の回答ともいえる返句として、

 

露と落ち 露と消えぬる 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

(豊臣秀吉/辞世)

 

余命宣告を受けた僕の身も

そろそろ消えゆくときが、

近づいているようにも感じています。

 

穏やかに、そしてすみやかに、

穏やかに、しず心もちて、

穏やかに、感じ取っているのです。

 

〔請願権〕

第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 

だったら、e.g. 災害被害者が、

国の補償保護、援助救済が

不十分であるとして

「平穏に請願」したとしても、

国家がこれに素直に

対応してくれるのかというと、

これがそうでもない。

 

実際に個人の請願に対して国家は、

それこそ国家権力を以ってして、

徹底的な裁判を起こし、

裁判の長期化と費用において、

請願した国民をじわじわと

追い込んでゆくというパターンが、

多いようにも考えたり思ったりも

してしまうような気も

しないでもないのです。

 

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

 

これも現実には、

国民が公務員に対して、

その賠償等を求めようものなら、

国家はその公務員を徹底的に守り、

賠償を求めた国民に対しては、

これまた徹底的に打ちのめすべく、

裁判やら長期化やら、

なんなら風評というあるのかないのかさえわからぬ

暴力まで駆使して、賠償を求めた国民に対して、

とんでもない損害を与えるのが

常態であるとも考えられます。

 

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 

実際に自分でも体現、見聞きもしたけど、

留置場拘置所内での待遇といったら、

まさに奴隷以下。

「奴隷的拘束を受けない」どころか、

本来ならペコペコして生きている最下層の人間が、

留置場拘置所の職員であるというだけで、

まあ威張る威張る、こちらが恥ずかしくなるくらい

身分不相応に威張り散らして、

留置拘置された人間を奴隷の如く、いや、

奴隷以下の対応を以って、これに処する

といったような状況である、ということを

多くの人が、たとえ冤罪であっても、

たとえ起訴もされていないのにただ留置されただけでも

いつ自分もその奴隷にされかねない

という情報を以って、国民が一丸となって、

強く守られてゆかなければならないようにも

思われたりも気もしたりもしないでもないのです。

Z世代のトレンドは、

などと言いだしたら、もはや時代錯誤と

捉われられそうな世代であるようです。

 

流行語大賞という言葉自体も、

もはや時代錯誤であるのかも知れませんが、

 

インフルエンサーが界隈という言葉を使って

何かを発信するにいたっても、もはや

時代錯誤界隈に属するのかとも思われます。

 

温故知新。

故(ふるき)を温めて、新しきを知ることが、

より一層大切であるという故き言葉の

訓えが諭してくれていることを守り、

歴史上の諸々の知識を

しっかりと理解したうえでなければ、

新しい物事をいくら知ったように

思い込んでしまっていたとしても、

 

それは単なるおバカ、単なるチャラい

流行りものにすぐに飛びつくだけの

軽薄な人間であると評価されても、

それもこれもあれも、アタリマエの

事象であるとでしか理解されないような

気もしないでもないのです。

 

〔個人の尊重と公共の福祉〕

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

要となるものは尊重であると考えられます。

 

「すべて国民は、個人として尊重される」

ということは、我々が日本国民であるいじょう、

すべての相手に対して、尊重、尊敬つまりは、

相手を敬い、相手に対する肯定的な気持ちや行為を

示さなければならない。

 

そして尊敬は、

ある人の要求や気持ちへの

気遣いや配慮・考慮を示すことで、

その人を敬う一連の過程でもある

とされているようです。

 

日本国憲法第13条さえ守られているのなら、

世に蔓延る〇〇ハラのほとんどはあり得ぬ事、

あってはならないこととして、

「日本国憲法第13条に違反している」として、

逮捕、拘留、起訴される恐れもあったりなかったり。

 

相手を敬(うやま)う気持ちさえ持てれば、

あとはなにもなくても、世の中なんとか

平和で安全にあるような気もしないでもないのです。

 

〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

であるのなら、貧困により

進学を断念せざるを得ぬ子供とか、

金持の男がモテ囃されるなどという風潮は、

れっきとした憲法違反になるとも考えられます。

モテる男であっても、彼が金持ちである場合、

この場合にもやはり同法の違反が疑われ、

起訴される場合もあったりなかったりも

する場合もあったりなかったりもするような

気もしないでもないのです。

 

第十五条 1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

     2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

 

第十五条のすべてが

無視されたような、あるいは、

誤魔化されまくって、現実には、

我々は公務員を選定したり、

罷免する権利を放棄させられているような、

または無視されているような

現状であるかとも思われます。

 

我々は我々と意見を

誤認しているような公務員を

選定しないあるいは罷免する権利を有する。

 

すべての公務員は国民全体の

奉仕者であるのだから、すべての公務員は、

「上司に掛け合ってまいります」とか、

特定の国会議員の仕事を手伝うことなど、

言語道断、許されざる者たちであるとも

考えられなくもないようです。

 

クリスマス・イブも

ニュー・イヤーズ・イブも、

日本人の感覚ほどの盛り上がりはない国々へ、

地球上最高といってもよいほど

舞い上がっている国民が訪れる事態を、

双方がどのようにどれほど

理解し合っているのかは、

わかりづらいのかとも思われます。

 

それでも、イブもヘチマもない状況で、

働いている人々を思えば、

それこそ、イブも提灯もない状況に、

おかれている人々を思う時、はじめて、

国民同士の理解であるとか

その人間個人の奥深さとかが、

表象されていくような気も

しないでもないのです。

 

燥(はしゃ)いでいる人々同士の

浮かれ方は一緒でも、

悲しみと苦悩の只中にいる人々の

憂鬱(ゆううつ)はそれぞれである

とも思われなくもないのです。

 

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

 

ここにも問題が潜んでいるようです。

「法律でこれを定める」というと

聞こえも良いようですが、実際には、

それを定める、法律なんて個人が存在するわけもなく、

法律で定めているように見せかけて、実は、

法律の専門家だかなんだかわからぬ者が、これを勝手に

定めて決めてしまっているという現状こそが、

問題であるとされるべきであるようにも思われます。

 

悲しい苦悩に満ちた生い立ちの難民、移民たちを、

日本国民として保護して迎え入れてあげるのか、

それともそんなやつらは

日本国民としては認めないね!などと、

無責任な裁判官が勝手に決めてしまう。

 

そんなことが、そんなこんな、そんなあんなが、

日常的に行われているという恐ろしさ、

ここを我々は理解しておかなければならない

のかとも考えられるような気も

しないでもないのです。

 

〔基本的人権〕

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 

「すべての基本的人権」とは

何を指し示しているのか?

基本的人権とはどこからどこまで、

そこからここまでの要件が

含まれるのかどうか?

 

たとえば、恵まれない環境に

おかれてしまっている若い人々が、

同年代の国家公務員と同程度の生活を

営みたいなどという願いは、

あるいは、同程度の将来的安心が

ほしいなどと願うことさえ、

基本的人権の権利には

当たらないのでしょうか?

 

普通の国民がみんな国家公務員並みの

生活を望み、公務員並みの将来的安心が

ほしいなどと希求する権利などは

ないのでしょうか?

 

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ

 

国民は不断の努力を強いられ、濫用は許されず、

「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」けれど、

国家公務員とか政治家はこれに当たらないとでもいうような

意味なのかとも思ってしまう時もあったりなかったり

するようにも思われなくもないのかも知れません。