ただ生きる/エティカ 5 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

ひろゆき氏と元官僚で経済学教授になった男が、

論争を繰り広げているようです。

 

貧困を知らぬであろう教授は、

ひろゆき氏に対して反論を掲げ、

庶民を見下すようなスタンスで自説を唱え、

「教養がある人はそういう理解が普通。社会全体の話と自分の身の回りの話は分けて考えるということ」と語ったようです。

 

しかしながら、

「全ての人の利益にならないならば、このような社会は、もはや、正の本性を持たないのである。」

(「主要教説」エピクロス)

という論説もあります。

 

「エピキュリアン6」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12696142213.html

 

個人の幸福が

社会に反映されないような社会、

 

個人の不幸は

問題ではないとされるような社会が、

教養ある人の理解であるのなら、

僕はそんな教養などは不要であるとも

思われなくもないのです。

 

「自前の哲学をつくるということは、他人の生き方への注釈、他人の生きざまの模倣が入り込んでいるということが重要である。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)

 

自前の哲学を手に入れるためには、

自前の生き方を確立するためには、

自分の人生の支柱を築き上げるためには、

 

周囲の人々との関わりだけでは

安易すぎて未熟、無知となるため、

古人の、偉人の、賢者本人の著作に触れ、

そこに注釈を加えるほどに深読み読破し、

また、

それらの人々の生きざまの模倣でも、

周囲で尊敬できる人の生きざまでも

模倣することから始めるのが賢明

であるような気もしないでもないのです。

 

「自分の置かれた状況のなかから、現実から加えられる諸力への抵抗や『知のかなしみ』として、自分自身の思想の準拠枠が形成されていくことになる。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)

 

現実の厳しさを体現しながらも、

尊敬できる人々の模写をしたり、

賢者の著作を丁寧に読破しまくることが、

 

自分自身の思想・信念・志・基本として、

自分自身を失わないで、確固たる心魂で、

生きていく方法となっていくようです。

 

「それこそが、我々が『ただ生きること』を歓待する哲学を構想する際には重要なこととなる。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)

 

ただ生きるためには、

ただ生きているだけではだめで、

 

日常生活を送りながらも、

賢者本人の著作を読み解き、

賢者の生き方を模写しながら、

実践で応用しながら随時、

更新したり改変したりしながら、

自分に合った自分自身の「ただ生きること」を

見出していく必要もあるのかも知れません。

 

ただ生きるということは、悲しみを体現して

はじめてその言葉の意味の深層を

理解できる言葉の学問知と、

 

学問知から得る悲しみの側面の両輪を

駆使して到達できる至高の知を

秘儀として獲得するということでもあるような

気もしないでもないのです。

 

「〈ただ生きること〉の哲学には、〈かなしみの知〉と〈知のかなしみ〉とをくぐりぬけて生み出された、言葉の文法と表現の、ひとつの極北の思想的なものが含まれる。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)