30度以上の日々の狭間に、
いきいなり1週間だけの期間限定で、
20度前後の日々を選択リクエスト
する人はまずいない、と思います。
体調を崩すであろう温度湿度の急激隔差変化に小康をみないコロナの影響も相まって、人々の心もよりいっそう荒んできているようにも感じられます。
誰かが「この世知辛い世の中に」などという語彙と現実社会の現象を分析していたけれど、
まさに世知辛いとうい表現が、何年もの時を経て蘇るほどに「世知辛い世の中に」なったものだと、
多くの人々が感じてきているのかも知れません。
「法を制定しても、全ての人の利益にならないならば、このような法は、もはや、正の本性を持たないのである。」
(「主要教説」エピクロス)
通勤電車等で、
足を組んで座っていたり、
挙句の果てには足を前面に投げ出すように座っている人などは、現在の法律では処罰されない。
しかし、そのような輩を張り倒してしまえば、
正義の鉄槌を下した者に傷害罪等という罪名が付けられ逮捕され留置され裁判にかけられ、
まるで極悪人の如きに扱われてしまうのです。
張り倒した行為は、
その場に居合わせた人々にとって、
利益にはならないけど、誰から見ても足を投げ出している輩が悪い。
現在の法律では、ときに正義の鉄槌ばかりが犯罪となり、
不正義で醜悪でマナーもルールもないような、ひ弱な男の行為は裁かれないようです。
「法律家は何万もの事例、何万もの法律を定めるが、
それで我々は何の幸福も得られてはいない。」
(「エセー」モンテーニュ)
「面識のない人に会う」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534121448.html
「正義は、それ自体で存する或るものではない。
それはむしろ、いつどんな場所でにせよ、人間の相互的な交通の際に、お互いに加害したり加害されたりしないことに関して結ばれる一種の契約である。」
(「主要教説」エピクロス)
数人が横並びに歩いていれば、
「人間の相互的な交通の際に」
他者に迷惑をかけている、つまりは他者に加害していることになる。 そこで彼らを張り倒せば、こちらが加害者となってしまうような法律に正義があるとは思えないのです。
「自然の正は、互いに加害したり加害されたりしないようにとの相互利益のための約定である。」
(「主要教説」エピクロス)
張り倒されたくなければ、
初めから、足を投げ出して坐ったりせぬこと、
数名で横並びに歩道は歩かぬほうが正であり、それを正して一人で愚者等を張り倒した者を処罰するのは正ではないと考えています。