余命宣告を
2、3か月~9,10か月と
伝えられていなかったら、
極端な体調の低下も、
なんでだろうなどと
気になっていたのかも知れませんが、
宣告を受けていたおかげで、
体調が悪いのもアタリマエ、
なんでだろうもなにもなく、
多くの物事も極々アタリマエとして
とらえることができるようになっているような
気もしないでもないのです。
「『よく生きる』ことにはけっして還元されてはならない『ただ生きること』を歓待するために、〈非在〉のエティカ(倫理)の在り処を何度でも想い描くことをこころみたいと思う。」
(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)
「よく生きる」ことを目指せば
肩っ苦しく重たくなります。
「ただ生きること」を思考すれば、
心は軽く前向きな姿勢になれる
ような気もしないでもないのです。
「人は弱いときにはじめて本当の強さを得る」
(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)
僕は持病とガンで体がボロボロとなり、
心筋梗塞により呼吸も苦しく、
脳動脈瘤と脳梗塞からは頭痛を余儀なくされて、
はじめて感謝の気持ちと謙遜こそが、
自分の心を落ち着かせる
最大のアイテムとなることに気づかされました。
傲慢・わがまま・唯我独尊などと
形容されてきた僕にとっては、
感謝と謙遜は真逆の心象ではありますが、
なるべく、できるかぎり、
この気持ちを持ち続けたいと思っています。
感謝と謙遜を抱き続けると、
不思議に、心が安らぎ、
なによりも自分を清浄化できるような
気もしないでもないのです。
自分の心の平安、清浄、清廉潔白こそ、
僕が常に目指してきたものであり、
それが最強であると気づかされた
余命宣告は、僕にとっては、
ありがたいものであったようにも
思われなくもないのです。
「ひとの生きるさまをみて、その生きざまから、みずからの生き方の指標をつくる。」
(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)
哲学の定義についての一案です。
生涯で直接会える人の人数は限られています。
しかしながら賢人本人の著作を読んでいけば、
多くの賢人との出会いがそこにうまれ、
その多岐にわたる生きざまから、
みずからのチョイスの数も幅も拡がり、
多くの視野、広い視野で、
みずからの生き方の指標をつくることが
可能となるのかも知れません。
「あるいはそれによってみずからの生に新たな目覚めが生まれ、智慧が授けられてゆくのを待つ。」
(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)
哲学とは、賢人の著作を読み漁り、
社会の裏表も経験しまくり、
それらによって自らの生の、
新たな指標が更新され続け、
やがては叡智が授けられることを
信じて疑わないということのような
気もしないでもないのです。