ボラティウス17(了) | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

都知事選の論点のひとつに

少子化問題を掲げ、

各立候補者も有識者も

これを抜本的経済支援等々と

結びつける議論はお盛んですが、

 

議論をするのなら、なにも

抜本的などと大上段にすべった

ころんだちょうちんだなどと

小難しそうに振りかざさなくても、

 

根本的人間のありかた、および

根本的な善行と悪行、悪徳との違いとか、

 

善行と幸福、悪徳の不浄等々が、抜本的に、

 

議論されてもよさそうなものであるようにも

思われたりもそうでもなかったりして、

あきれたりあきらめきれなかったりで、

なんだかわけもわからなそうな事態ではあるようです。

 

「摂理のうちに己を保持しているときには、人間の精神は必ずやより自由である。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)

 

人間の本性が、

衣食住の獲得と

知的肉体的欲望くらいで、

バランスよく満足しているうちは、

 

自然の摂理に調和して、

我々の精神もある程度の自由を

保持し続けられるようです。

 

「なんらかへの隷属状態は、魂が諸々の悪徳に侵食され、固有の理性の所有から陥落するときである。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)

 

なにかにとらわれる、

なにかにこだわるという状態は、

なにかに

隷属してしまっている状態であるのか

とも考えられます。

 

金銭、物品、地位、名誉、愛欲、

虚栄、虚飾、健康、美容等々への固執、

社会的隷属は我々の精神を蝕み、

 

我々は悪徳の誘惑にさらされ、

やがては我々が我々独自の、

それぞれの理性をも手放してしまう

可能性もあるようです。

 

フィロソフィア(哲学の女神)「摂理・真理は、あなたがたの誰によっても、けっして十分に入念に、かつしっかりと解明されたことはなく、解明されることもないのです。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)

 

科学者であろうと、医者であろうと、

法律家も裁判官も、ましてや〇〇の専門家

などと謳っている人々も、

 

十分にかつしっかりと

解明されてもいない問題にたいして、

 

ああでもないこうでもないと謳い、

あげくのはてには、

それがすべった転んだ提灯だなどと

まあ、いけしゃあしゃあと謳ってはいるけれど、

 

どれもこれもがまやかし、

己を知らぬ人々の遠吠えにしか

聞こえない場合もあるような気も、

しないでもないようです。

 

なにが正しくて何が間違いなのか、

その判決は、騙る人の正誤よりも、

それを受け取る側の才に対応して、

把握されるのかとも思われます。

 

著名人、有名人、と

世間が謳うおバカを信じるのか

無名の才気に感銘を受けるのかはすべて、

我々の才能にかかっているようです。

 

「認識されるものはすべて、そのもの自体の力量ではなく、認識する人たちの能力に応じて把握される。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)