ただ生きる/エティカ 1 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

人生の基本はマナーとエチケット、

礼と節、品位と品性にあるのかも知れません。

 

仕事の基本もこれと全く同じで、

礼と節、品位と品性を身に付ければ、

 

人生も仕事も、たいていのことは、

うまくはこんでいくとも思われます。

 

ただ、マナーとエチケット、礼と節を

わきまえず、品位と品性も身に付けていなければ、

 

人生も仕事も、たいていのことは、

うまくいかなくなるとも考えられなくもないのです。

 

ただ、これらを教えないオトナが増えすぎたために、

今を生きる若者たちが、

苦労を背負わなければならなくなっているようにも、

見られるようでそうでもないような

気もしないでもないのです。

 

「この支援活動はあなたのためではない、ただひとえに自分のかなしみのためである。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)

 

支援活動にしろ何にしろ、

パートナーであっても友人でも、

誰かに何かを、愛とか、金銭でも、

労働であろうが奉仕であろうが、

 

誰かに何かを施すのは、

けっして相手のためではなく、

最終的には自分のためである

という論理が、

正しいようにも思われます。

 

というのも奉仕活動は、

なによりも自然本性から、

己のかなしみをも洗い流してくれるように

考えられるからにほかならないのです。

 

「だからこそ抱え込んでしまう〈かなしみの知〉というものがあり、おのずとひとつの知を帯びてしまう「罪」に由来する〈知のかなしみ〉というものもある。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)

 

知ある者だけが真の悲しみを知り、

無知なる者は、

真の悲しみさえ理解できないまま、

わけもわからぬ悲しみを知ることになる

ということなのかも知れません。

 

この世のかなしみは、

この両者が共在しているところにあり、

 

この世の真の悲しみは、民族間の争い、

宗教の違い、国家間の問題以前に、

 

この「かなしみの知」「知のかなしみ」を

知っている人間と無知なる人間の共存に

由来しているような気もしないでもないのです。

 

「経験とはすでに何かに巻き込まれていることであり、ただ生きることそのものであるのに対して、知とはそうした経験の試練を被る前にその経験について知ることであり、いわば生きる前に生きるということを経験しようとするものである。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)

 

知とは、生きる前の道しるべ、

知とは、より良く生きるための参考書。

 

道しるべを持たぬ者と、

参考書を熟読せぬ者と、

 

道しるべを持つ者と、

参考書を熟読した者とのあいだで、

 

人生が大きく左右されても、

なんらの不思議もないようです。

 

「哲学とは、経験と知を先取りしようという欲望である。」

(〈非在〉のエティカ/東京大学出版会)