ボラティウス16 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

頑張るという情動は、

頑張ったというその情動だけで、

その結果に関係なく、もれなく、

達成感というプレゼントが

ついてくるようです。

 

人生で、もっとも手軽に、

しかももっとも有意義に、

あわよくば結果という報償まで

手に入れることができる頑張るという情動は、

ある意味、神が人類に授けてくれた最上の

プレゼントであるのかも知れません。

 

しかも、頑張っている人を見ると、

周囲にまでその快楽が伝染して、

より多くの人々にも、その快楽を

分け与えているとも考えられるのです。

 

今回、僕は、ありがたいことにそのことを、

頑張る福祉介護士から、いやというほど、

学ばせていただいているのです。

 

「険しいと見られる道はすべて、鍛錬しているか矯正しているか、さもなければ罰しているのだ。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)

 

我々が不運にあるとき、

我々が不幸に陥ってしまっているとき、

 

そのときこそ、

我々は、その要因・原因を考えさせられ、

分析し解析し打開策を

思考するという訓練の時期であり、

 

運命とはなにか、幸不幸とは、人生とは、

人間とは何かを洞察すべきであり、

 

我々の怠慢が矯正されるべき時期であり、

そうでなければ天が我々を

罰していると解釈するのが

妥当であるのかも知れません。

 

「最後の労苦は緩むことなどなく、ひるがえれば最後の労苦の見返りは、天にふさわしいとされることだったのだ。さあ行きなさい、強きひとたちよ、気高い偉大なる道の導くところへ。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)

 

人生の最後に死を迎えるということは、

緩い手軽な労苦ではないだろうけど、

 

それは生前の一切すべてを

その労苦に代えて耐えることにより、

我々を天にふさわしいものとしてくれる

ということなのでしょう。

 

そしてそれは気高く偉大なる道への

試金石ともなっているのかも知れません。

 

「ティグリスとユーフラテスが、一つなる水源からほとばしり、やがて水流は分かれて離れ離れになるが、行き合い再びまた一つの流れへと呼び戻される。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)

 

すべての物事は摂理という源から放たれ、

知と無知と、幸不幸の運命の流れに分かれるが、

やがてはまた元の一つの摂理によって

その運命も、定められていくようです。

 

僕は神という概念はわかれないけど、

天地、大地、宇宙、地球、自然なら

理解できるので、

僕にとっての神という概念は、

天の摂理、自然の摂理として

受け止めています。

 

天の摂理は天変地変、異常気象、

必然なる偶然の事象等々ももたらしますが、

それを幸不幸へと導くものは、

我々の賢知と無知によって定められた

運命という名の審判であるのかとも

考えられなくもないのです。

 

「混じり合った流れは、偶発的にあの様この様を示し、それらあちこちする偶然を、それでもまさに大地の勾配こそが、流れ下る秩序を支配する。

 偶然は秩序を破り、法則によって進んでいる。」

(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)