名古屋の日赤病院では16歳の少年の命が、
医療過誤により失われたようです。
ココではかねてから
述べさせていただいているように、
総合的人間スキルの低下は、
とうとう医療にもおよび、
医師・看護師たちも、責務も任務も忘れ、
すべてを保身に捧げるあまり、
ひとりの16歳の少年の命が
踏みにじられてしまう結果となって
現れてしまったようにも思われます。
哲学なき行為は、人の命をも奪う。
人類医療の始まりは古代ギリシャの
ヒポクラテスといわれているように、
そのヒポクラテスも
ゼノン、ソクラテス等に弟子入りし、
医療を哲学の下におくという学問体系を
信奉していたようです。
(「ユリアノスの反論に対して」ヒポクラテス)
「セノン15」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12575976390.html
議員・公務員数を減らし、小学校の担任を、
若い先生と中高年先生の二人制にすべきで
あるようにも思われなくもないのです。
「運命はすべて摂理に従属するが、摂理は運命を超越する。」
(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)
運命は天の配剤、自然のアタリマエ。
努力は報われる確率を高めますが、
怠慢は報われる確率を自ら低くする。
これが摂理であるから、
運命は摂理に従属し、運命は摂理にもとづき
幸不幸の確立をはじきだしている
ということになるのかも知れません。
が、とんでもなく努力すれば、その摂理は、
運命を超越し、本来、運に
恵まれない人生であったとしても、
その運命を超越し、恵まれた人生へと、
自らの力で運命を転換できるような
気もしないでもないのです。
「でたらめに漂う事物も、摂理に固有の不可変性によって拘束すれば、諸事物はもっとも善く導かれる。」
(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)
かつては「ちょい悪オヤジ」どころか、
極悪少年、極悪青年であった僕が
いうのもおこがましいのですが、
まじめがアタリマエ、
まじめに努力するのもアタリマエ、
他者を騙したり
傷つけたりしてはいけないのもアタリマエ、
悪いことをしてはいけないのもアタリマエ。
アタリマエの摂理は不可変であり、
これをみんなが守れば、
世の中がもっと善くなるのもアタリマエ
ということなのかも知れません。
「ちょい悪オヤジ」
などと自称する似非で醜悪な偽物、
ゲスで卑劣な輩は
もとは弱虫のコンコンチキである
ようにも考えられるような
気もしないでもないのです。
「摂理の働きによるあらゆる仕掛けを、知力によって把握することや、言葉によって解き明かすことは、人間には許されない。」
(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)
まあ、世の中わからないことだらけ
ということなのかも知れません。
しかしながら、我々には
わからないことだらけなのであるということを
知っておくことも、
大事な品性となるようにも思われます。
「神はことごとく地球上の命、息吹くものを、同じに奪って、もたらして、運び去って、最後の壊滅へと沈める。」
(「哲学のなぐさめ」ボラティウス/京都大学学術出版会)