できないことを思えば不快になり、
できることだけを考えていれば、
歓べるようにも思われます。
老いぼれオンボロじじぃであり、
余命数か月の僕としては、
今日、散歩ができる。
今日もまたアジサイと会える。
今日も読書ができるし、
こうしてブログにも記せる。
できないことを考えればキリもないけど、
できることだってけっこうあって、
そのことを思うだけでもうれしくなれます。
「資力は、満たされぬ欲望を消し去ることはできないし、権力は、悪徳的な情欲で縛られている人たちを自制的にはできないし、不誠実な人たちに与えられた権限は彼らをそれにふさわしくもしない。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
金持ちが、
無欲な人であることは絶対に
ありえないし、
権力者が、
冷静で自制的であることも
ありえないし、
税務署の人みたいな、
権限をもった人が、
それにふさわしい人格品性を
もつこともありえない
ということなのでしょうか。
だとしたら、
金持ちも権力者も、
税務署なども、みんな悪徳に満ちた
悪人ばかりであるということで
納得してしまってもいいようにも
思われなくもないのです。
「幸運には熱望されるべきものはなにもなく、運には生来の善性などはなにも内在しないことは明白で、幸運は善い人たちに訪れるわけではなく、幸運に恵まれた人たちを善い人にするわけでもない。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
金持ち・政治家・官僚が、
善いひとであるわけもなく、
善い人である我々が、
幸運に恵まれるというわけでも
なさそうでありそうでまったく
そうでもないのかも知れません。
「あなたがたは、天の広がりから見れば点にすぎない地球のなかの最小の点にしかすぎない。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
これは歴然とした事実であり、
人類の真理・真実でもあるようです。
ですから我々は、この地上で、
我々の人生において、なにが起きても、
宇宙全体から俯瞰すれば、
とるにたらぬ事、ということになるのかも知れません。
「天を求めれば、地上のすべての用事を軽んじて地上のものごとから解放された自分を、天とともに楽しめるのではないか。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)