ボラティウス4 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

今、生きること、

今日、何をするのか、

それだけ考えていればよい

とも思われなくもないのです。

 

なまじあと何年生きるとか

視野にいれていまうと、

いろいろと考えなくてもいいことまで

考えなくてはならないし、考えてしまう。

 

余命宣告を受けた僕は、その点、今、

人生で最も気楽で、楽チンな日常を

送らせていただいているような

気もしないでもないのです。

 

「こちらの人には資産が豊かにあるのに、卑しい出自を恥じています。そちらの人を高貴な生まれが有名にしていますが、家計の窮迫ゆえに、むしろ身を隠して人に知られずにいたいようです。ある人は両方に恵まれていますが、独身生活を悲しんで泣いています。ある人は結婚生活では幸いですが、子供がなく、相続人たる醜悪な国家のために資産を育んでいます。別の人は子供を得て喜んでいるのに、息子や娘の不行状に悲しみ、涙を流しています。」

(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)

 

幸せはどこにもない。

幸せは唯一、

我々の心のなかにだけ内在し、

 

幸せは唯一、

我々自身が我々の心のうちに見出し、

育てていかなければならないようです。

 

「別々のものに内在しているのです。経験しなければ知らず、経験したらおびえてしまうことが。」

(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)

 

経験しなければその真実はわからない。

経験すればその真実におびえてしまう。

 

手に入れるまではその真価を知らず、

手に入れてしまえばその真価を

失う不安におびえてしまうようです。

 

「このうえなく幸いな人はみな、ひどくわがままな感覚があり、全部が意のままにならなければ、あらゆる逆風に不慣れなために、どんなにごく小さなことにも打ちのめされてしまう。」

(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会))

 

我々は、すべての生き物に備わった忍耐、

我慢という本性を忘れている。

 

我々以外の生き物は、

雨にも風にも空腹にも、災害にも渇望にも、

忍耐、我慢という武器で闘い続けているようです。

 

それなのに我々は忍耐の代わりに、

気晴らしとか、気分を変えることで、

無となる境地を忘れがちでもあるようです。

 

その手段として僕はありきたりな、

瞑想、呼吸を整えるという方法を用いています。

 

「あなたがそう思わなければ、なにごとも悲惨ではありません。」

(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)

 

欲するべからず、

何事も望まなければ不幸も悲惨もない、

ということなのかも知れません。

 

「現状を変えることを選ばずに、忍耐することを選んだ人より、いったい誰が幸いであるといえるのでしょう。」

(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)