気象庁とかメディアが
梅雨入り、梅雨明けなどと
偉そうに喧伝するまでもなく、
我々は我々独自の感性で、
すでに梅雨を感じ取っているような
気もしないでもないのです。
気象庁とメディアの梅雨入り、梅雨明けは、
我々にとっての「なにをいまさら」状況で
あるようにも思われなくもないのです。
「金銭が、一人のもとに集められれば、他の人たちを欠乏させます。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
富豪とは、醜悪なる「ひとりじめ」で、
超自己中心的な精神をもつ人々の総称
とでもいうことでしょうか。
「富は手渡されたら、置き去りにした人たちを必ず貧しくします。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
一人が富めれば、アタリマエに、
別の人を貧しくする。
このアタリマエの倫理を
無視した金の亡者が富裕と称され、
彼らはさらに富豪となることを欲し、
さらに他の人を貧しくさせようと
しているのかも知れません。
「富は他の人の窮乏なしにはやってこない。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
他者を苦しめてまで
おカネを欲しがる人々の
本性はどこにあるのでしょうか。
性善説と性悪説で解釈してしまえば、
彼らはアタリマエに生まれつき性悪な
人々といえるのかも知れません。
おカネは必要なときに
必要な分だけあれば十分と考えるのが、
「足るを知る」の基本でもあるようです。
「金品の富によって取得する宝石や装飾品ほど、最低で醜い美はない。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
金品が人間の強欲によって
得られるものであるのなら、
強欲で手に入れた宝飾品などは、
醜悪の権化の象徴とでもいわれるのかも知れません。
「田舎の景色を美しいとは思いませんか?空と海、星々に月に太陽に、我々は驚嘆の美を感じます。これこそ、自然が生み出した本当の美、我々が自然と共有できる最高美であるのです。」
(「哲学のなぐさめ」ボエティウス/京都大学学術出版会)
自然の美は、善なる美、最高美。
金品・宝飾品は悪の華、
とでもいうことなのでしょうか。