エティカ15 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

枯葉を踏む音

風情な音色ではあるけれど、

枯葉を踏んで歩く我々の、

どこかに

罪悪感はないだろうか。

 

我々は塵で塵に帰る。

 

銀杏の葉の生命が終り、

静かに塵に帰るその瞬間

我々はただ騒がしい音を

たてているだけなのかも知れません。

 

銀杏の樹は

我々に大きな命題を

与えてくれているような

気もしないでもないのです。

 

「希望とは、不安定な喜びである。

 すなわちそれは、その結末について我々がある程度疑念をいだくような未来、あるいは過去のものの観念から生じてくる。」

(「エティカ」スピノザ)

 

希望とは

儚いもののようです。

過去の、

経験とか知識、

それらから生じてきた観念、

これが希望の主な敗因いや、

要因となる場合も

あるのかも知れません。

 

そして誰もが知っている。

希望の情景は、

誰もが疑い、自信もなく、

我々は我々自身の希望に

いつもある程度、

疑念をもっている

ということなのかも知れません。

 

「恐れとは、不安定な悲しみである。

 すなわちそれは、その結末について我々がある程度疑念をいだくような未来、あるいは過去のものの観念から生じている。」

(「エティカ」スピノザ)

 

恐れも希望も紙一重。

スピノザは言葉遊びが過ぎる

ようにも思われます。

 

希望と恐れについて、

いや、すべての物事の

云々についても、

 

個人的に、

スピノザは、

プラトン、ソクラテス、

そして僕の

最も敬愛するソフィストである

プロタゴラス等から比べて、

 

いくらか知性感性頭脳的に

劣ると考えていたりもします。

 

──「プロタゴラス対話篇」プラトン──

「ヒエロス・ロコス 1」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12560751179.html

 

先の哲人たちに比べ、

キリスト教浸透以降の

学者たちは、すべてにおいて

おおむね劣ってきたのかな

とも思われなくもないのかも知れません。