大学病院の主治医が女医、
歯科医が女医で担当ケアマネも女性、
デイリハの担当も女性理学療法士、
女性の社会進出を実感、
女性にこれだけお世話になっていれば、
ファミニズムに関心を抱くのは
アタリマエといえばアタリマエのことのようです。
フランス前期フェミニズム
ジョルジュ・サンド
フランス中期フェミニズム
ボーヴォワール
「恋とは、われわれの魂の最も純粋な部分が
未知のものに向かっていだく聖なる憧れである」
(ジョルジュ・サンド「薔薇色の雲」)
「ジョルジュ・サンド ショパン~マルクス」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534122209.html
「フロイトが明らかにしたとおり、〈正常な〉性活動なるものは存在しない。性活動は常に〈倒錯的〉なのである。」
(「老い」シモーヌ・ド・ボーヴォワール)
「ボーヴォワール19」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12636859566.html
二人の思想の根底には、
プラトンによるディオティマの教えが
共通して流れているということに着目すべきであるようです。
「知の豊富な者が知の貧しき者に知を分け与えること、
それが性交であり美でありイデアとなる。」
(神託伝道主・巫女ディオティマ「饗宴」プラトン)
「アウレリウスの独り言 35」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12561424255.html
それでもフェミニズムの平等思想は実現していない。
「次世代にジェンダーを再生産するという点で、家族はジェンダーの核心である。
これまでみてきたように、わたしたちの社会で典型的な家族生活は、女性にとっても子どもにとっても正義に適っていない。」
(「正義・ジェンダー・家族」スーザン・M・オーキン)
現代社会においての
家族という概念自体を
見直さなければいけない時期に
差し掛かっているようにも思われます。
真の資本主義を実践しながら、
真の正義も守り抜こうとするのなら、
現在の僕が置かれているような家族、
つまりは夫婦でも親子でもない家族形態、
介護するパーソンと
介護されるパーソン。
両者が極めて資本主義的に結び付いてはいるけれど、
そこに愛も性も快楽も、思いやりも慈しみも
力関係さえ存在する構造をもつ家族的形態。
しかも、その構造的合理性により、
介護されるパーソンは僕一人ですけど、
介護するパーソンは数名という融通性、
この新しい形態こそ、
新しい家族形態であり、
現時点で僕なりに可能な、
正義・ジェンダー・家族の実践であるとも
納得できるようにも思われます。