「自由とは何か?」
マルクス・ガブリエル)
どのようなものにも正と負、あるいは損得・好嫌がある。
自由にもアタリマエに善悪と責任が伴うものだと思われます。
ファッションであろうが何であろうが、周囲の人間に不快を与えるような代物は自由などではなく単なる虚飾・虚栄という名の悪徳・悪行であるとも考えられるのです。
「自由は民主主義と、どのように関係しているのか?
なぜ民主主義は世界中で脅威にさらされているのか?
そもそも民主主義と自由とは何か?
まず、私たちはそれを最初に考えた人を知らなくてはならない。」
(「神話・狂気・哄笑:ドイツ観念論における主体性」
マルクス・ガブリエル)
そのことも知らずに自由とか民主主義を語る人は多い。
そもそもたいした知識も経験もないのに、己の思考を正当化あるいは弁明ばかりしている輩が増殖しまくっているようにも思われなくもないのです。
「自由と民主主義を価値の体系として考えた第一人者はイマヌエル・カントである。」
(「神話・狂気・哄笑:ドイツ観念論における主体性」
マルクス・ガブリエル)
ここはガブリエルのリップ・サーヴィスかと思われます。
アタリマエにガブリエルは知っているけど、読者の知っている範囲の立場でカントの名を挙げただけにすぎないのだとも考えられます。
ココの読者はもうお気づきのこととも思われますが、本来は、自由と民主主義を価値的体系化して考え出した人たちは、古代ギリシャ、ゼノン、ディオゲネスにまで遡るべきかとも考えられます。
「ディオゲネス、その延長線上にはセネカ、アウレリウス、エピクロス等の哲人が名を連ね、そのまた先にはルソー、ニーチェ、カント等の哲人、モンテーニュ、フロイト等々、実に数え上げればきりがない」
「コスモポリテス 4」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12562982519.html
カント哲学もゼノン、ディオゲネスの延長線上にあり、
そこでは人間本来の「意思」という概念を持ち込みました。
「いったいゼノンがどれだけの言葉と概念と思考を、人類史上初として創り出したのかさえわからぬほどに、セノンは最も優れた智者であるのだ。」
───「アカデミカ前書」キケロ───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
「ゼノン 8」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12571103652.html
自由という概念、概念という言葉、そして意思という概念、
すべてはゼノン、ディオゲネスから始まっていたようです。
「カントは自由意志という概念を想定します。
自由意志とは、物事が私たちに任されている状態です。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)