「常に言葉は明瞭にして文法に違反してはならない。
ゼノンが言うように、『言葉は知性に裏付けされ、意味のあるものでなければならない』のであろう。」
───(「弁論術教書」クインティリアヌス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
だからこそ、言葉には品性・知性・環境が
現れてしまうのかも知れません。
酔っ払いが自分では普通に振舞っているつもりでも、
ちゃんとした人とかシラフの人から見れば
明らかにマトモではなく、恥ずかしき醜態であると
見抜かれてしまうように、
ちゃんとした人とか智者からみれば、
言葉遣いでそのひとの品性・知性・環境までもが、
見え隠れして露わとなってしまうのかも知れませんね。
「ゼノンによれば、『ソロイを犯す』とは、言葉使いや話し方にナマリがあることばかりではなく、人が何か風を装っていたり、場違いな服装・立ち居振る舞い、不躾な歩き方、虚飾・虚栄が表れた醜態を演じてしまっていることであるという。」
───(「アテネ人の公式辞書」ゾナラス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
ソロイとは、当時の地方都市の名前。なので当時は一般的には
「ソロイを犯す」とは単に「田舎者」という意味でも
使われていたようです。
が、言葉遣いや話し方で出身地が明らかなさまになることは
けっして恥ずべきことでもなく、それよりも言葉遣いや話し方で
品性・知性・境遇、虚飾虚栄の性格まで見抜かれてしまうことの
ほうがよっぱど恥ずべきことであるようにも思われます。
「万有の根源は二つ、すなわち作用するものと作用されるものとである。
この説はゼノンの説ではあるが、作用するものとはロゴス(論理・摂理・神)である。
そして作用されるものとは本来性質を持たない人間及び自然界におけるすべての生物のことである。
───(「ギリシャ哲学者列伝」ディオゲネス)
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
これはフィシスとノモスにも当てはまる真理
であるのかも知れません。
フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性
ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理
「コスモポリテス 12」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12570515510.html
人間は本来フィシスに従い、融合して生きるべきが、いつのまにか
法律や慣習といった人間や社会によって勝手に決められた秩序、
ノモスを優先するようになってしまった。
結果、戦争・自然破壊・営利主義等々の醜悪なる現像を
浮き彫りにしてしまっているような気もしないでもないのです。
「アリストテレス、プラトン、ゼノンは、神とはゼウスとその周囲の神々、宇宙の真理摂理、知性、運命、論理、自然の真実摂理と同一のものであるという見解において一致している。」
───(「ギリシャ哲学者列伝」ディオゲネス)
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
僕が「主」とか「神々」とか「神」と呼んだり思ったりするのは
まったくにこのことであり、だからこそ僕は「主」を畏れ、
「神々」に誓い、「神」に祈りを捧げているようです。
「神々の存在は明らかであるが、たった一人の神のみが存在できるなどというのはまやかしにすぎない。」(「ツァラトゥストラはかく語りき」ニーチェ)
「シルス マリアの超人」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120013.html
まちがってもキリスト教のいう「主」とか「神」とは同一である
とは思えぬような気もしないでもないのです。
「カオスとは宇宙の秩序摂理が形付けられる以前に存在した水分である。
第一に水分が、第二には水が沈殿し土となり、第三にエロスという名の炎という情態が生まれた。」
───「神統記」ヘシオドス───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)