コスモポリテス 12 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

「食べるのによくよく困った時、ディオゲネスは人に物を無心した。

 そのとき彼はこう言ったものだ。

『もしすでに他の人間に施したことがあるなら、ワシにもくれ。

 だが、誰にも施しをしたことがないのなら、ワシから始めよ。』

 ディオゲネスに言わせれば、施しをしないような人間は意地汚い奴、ろくでなし、くず、がらくたなのである。

 なにしろ、すべてのものは、彼に言わせれば、元々神々のものだからだ。

 しかし、世の中には物事のフェシス──人間とは無関係に存在しその法則に人間が介入しえない世界という意味での自然の摂理、アタリマエの道理──を弁(わきま)ないろくでなしがいっぱいいる。

 施しをすることを渋ったり、もったいをつけて拒んだり、口うるさく『返せ!』とせっついたりする人々が少なくなかったのだ。」

(「哲学者ディオゲネス──世界市民の現像」山川偉人)

 

フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性と

ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理との

バランス的命題とも成り得るのかもしれませんね。

 

時代背景も違うのかも知れませんが、

僕も野良犬のようなホームレスの人に施しを求められても、

施しをする気にはなれないようにも思われます。

 

「そういう連中の中には、施しをするつもりなど毛頭ないのに、『私を説得できたら差し上げましょう』などとぬけぬけと言う手合いがいる。

 こういう意地悪人間に対してはディオゲネスも匙(さじ)を投げて、『あんたを説き伏せることができるくらいなら、首を括(くく)れと説き伏せるだろうよ』と言うのだった。

 また、断るであろうと思われる連中には、わざと『ひとつ黄金像を頂けませんかね』と言ったりもした。

相手が『なんでまた、黄金の像などと?』と不審顔で尋ねると、ディオゲネスは「人から拒否される練習をしているのだ」と答えた。」

(「哲学者ディオゲネス──世界市民の現像」山川偉人)

 

ここまでの逸話をお読み頂く限りにおいては、

ディオゲネスに対してムカついてくる人も

いらっしゃるのかも知れません。

 

または施しをケチる人々にムカつくのか、

それは「神々のみぞ知る」ということの

ような気もしないでもないのです。

 

「ディオゲネスの後、ストア学派の祖となったゼノンは、貨幣経済に対して『物々交換の代用にせよ、何かの交換のためにせよ、あらゆる局面・状況を熟考しても、貨幣経済を作る必要があるとは思われない』と語っている。

 が、これはディオゲネスの影響だと考える学者も多いのである。

 ディオゲネスは貨幣経済への偏向をいち早く察知し、これ見よがしに硬貨を偽造し追放された。

 これが彼の人生の転機であり、彼が哲学をより一層探求実践するきっかけともなったのではあるが、ディオゲネスが『狂ったソクラテス』と評された元凶ともなっている。

 彼はフュシス──自然や本性といった人間や社会における価値判断を超えた宇宙における不変の秩序のことを指す概念──とノモス──法律や慣習といった人間や社会によって勝手に決められた既存の秩序のことを指し示す概念──のバランスこそが人間的美徳を得られる生き方であると確信していた。

 彼は常々、『金銭に対する欲望を抱く者は、あらゆる災厄を母国としている』と語り、『無知で卑劣、傲慢にして卑怯者である金持ちは〈黄金色をした醜悪なる羊〉と同等である』と述べている。」

(「哲学者ディオゲネス──世界市民の現像」山川偉人)

 

「黄金色をした羊」=代々の政治家に、

一票を投じてしまう国民も彼らの心魂と同等

となってしまうのかも知れません。

 

が、

「黄金色をした羊」=官僚・公的職員等々を必要とする社会も

同じく醜悪であると認めざるを得ぬような

気もしないでもないのです。

 

人がみな善であるなら、醜悪なる者──政治家、官僚、公的職員

等々──は不必要なる者となるのかも知れません。