ゼノン 7 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

「慈悲は、与える者と受ける者を二重に祝福する。これこそ人類の最も偉大な力である。

 賢者には王冠よりも相応しい。」(「ベニスの商人」シェークスピア)──「開会式のテンペスト」──「テンペスト」シェークスピア───

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120283.html

 

「というのも、ゼノンという、ある最高の才能を備えた人物が出現し、彼の考えを競って受け容れようとした人々はストア派と呼ばれ、周囲の者たちに羨望の目で見つめられていた。

 ゼノンの意見と指示は次のようなものである。

 知者は好意を受けても、それによって何かを動かされる様なことはない。

 知者は誰かの誤りを大目にみることもけっしてしない。

 愚かで軽薄な者以外に醜悪なる者はいないとし、立派な人物は懇願ややり取りに左右されることもないという。

 ただ智者のみが美しく、欠乏の極致にあろうとも豊かであり、奴隷であろうとも王である。

 しかし、智者でない我々は、逃亡者であり、流刑者であり、敵対者であり、醜悪であり、狂人でさえあると彼らは言う。」

───「アカデミカ前書」キケロ──

(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)

 

ストア派は厳しいとは聞いていたけれど、あまりに過激。

ちょうど彼らと同時期にインドに出現したブッダと弟子たち

のように清貧を重んじ勤勉努力、美徳を追及する集団であった

ようです。

 

その辺にいる現代日本の坊主たちに聞かせてやりたい。

もっとも、彼らの中の何人が仏法を極め、

ストア派その他の哲学にも通じているのかさえ、はなはだ

疑問の余地もありそうな気もしないでもないのです。

 

「これらのいずれもゼノン以前に大きな労力を費やして主張されたことはなかった。」

───「アカデミカ前書」キケロ───

(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)

 

我々はソクラテス、プラトン、アリストテレス、ディオゲネス

等々までは大まかに理解し、今ようやく、その集大成ともいう

べきストア哲学の祖であるゼノンを理解しようと努めています。

 

「ゼノンやストア派が思い上がりを退けたのは正しい。

 知ってもいないことを知っていると思い込むことは正常な精神の持ち主がすることではなく、軽薄な者、愚か者、醜悪な者のすることだからである。

 だから、ソクラテスの教えたように、我々は何も知らぬということを知らねばならず、またゼノンの教えたように思い上がりをもってはならないとするならば、あらゆる学問を覆すことも可能となるのである。」

────「信仰提要」ラクタンティウス───

(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)

 

ストア哲学を習得し、ソフィストの弁論術、三段論法あたりを

身に付ければ、たいていの場面は乗り越えられる。

 

結果、僕は好き放題、わがまま放題でも、なんとかこの歳まで

生き延びさせて頂いたようなものなのかも知れません。

 

が、医者の知識、意見までをも論破し、

いい気になっているうちについには現状のように、この歳で

多くの病歴、重篤な病気を抱え込むこととなったのでした。

 

真の愚か者は、どこまでいっても愚か者でしかないようです。

 

「ゼノンに始まるストア派は、イデアとは我々の観念であると主張した。」

───「学説史」アエティオス───

(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)

 

概念には最大公約数的な共通認識が重要であるとされる。

観念は個々の人間の持つ愛と理想と摂理の融合体で、

これをプラトンはイデアと定義づけ、巫女ディオティマに

神託として語らせています。

 

「ディオティマはアフロディティやゼウスの功績を讃え、『愛とは、無知なる者と知恵ある者との結合である』という御神託を伝えている。」

(「ソクラテスの弁明」プラトン)

「アウレリウスの独り言 17」

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