面会に行ってきました | 介護と私とColosseo(ヒーリングと石鹸の家)

介護と私とColosseo(ヒーリングと石鹸の家)

子ども二人。孫三人。
夫は5年半の闘病の末2024年4月に他界。
色々大変なこともあるけど
地球を大切に、自然と共に、大地を癒し、穏やかに生きていけるように。
日々の記録を残してます。

\\背景//


私の旦那は、2014年9月に大動脈解離で大きな手術を受け、一旦社会復帰できました。

その後、2018年12月に2回目の大動脈の手術を受けましたが、術中両側に脳梗塞を併発し、それに気づかれず、数日放置の結果、
要介護5の重度障害者になりました。


当時はリハビリや介護施設利用、在宅介護、数多の事務的手続き、本当に忙しかったのですが

脳梗塞を発症する数年前から

「この人はアスペルガーかもしれない」と思っていた旦那が、脳にダメージを受けたことで、これまで目立ってなかった特性がどんどん見えてきて、3年くらいはしっちゃかめっちゃかで、その関係の対処が一番大変でした。


発症から6年目の今、施設で過ごしています。

2年くらい前から手足の拘縮が酷くなり、嚥下も難しく、意思表示もほとんどできず、意識はありこちらの話すことはちゃんと理解していますが、寝たきりです。



🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸


昨日まで

行けなかったのですが





行ってきました。


昨日「これはもう、最後の手段で弟に頼もうか」と久しぶりに弟のこと考えてたら、今朝実家から電話があり、弟がコロナにかかったと(弟は実家で暮らしてます)


あかーん!弟案無し!


予想外の案件重なって、もう扁桃体が騒ぎだしてるのでとりあえず頓服飲んで。

お昼頃に、たまにお世話になるお手伝いさんに連絡するもお仕事中で無理。




これはもう自分でどないかせーや!

ゆうことみたいやから、頓服追加して



何度も深呼吸して、車を出し、しばらくすると施設から電話で「ヒー!!(⁠@⁠_⁠@⁠)!!」ってなりながら出てみると、今日の医師の診察結果の連絡でした。

なので話途中キリの良いところで

「わかりました、今向かってますので、着いたら詳しく聞かせてください」ゆうて電話を切り、施設へ。



左側の肺が機能してない。


ということです。


4日間抗生剤入れるも熱は下がらず、抗生剤3日延長で絶飲食。


熱が高いので座薬使用したようですが、私いる間に熱計ったら38.9℃でした。


適宜吸引


酸素吸入はカニューレでなくマスクでした。



お父さーん!ごめんなー、長いことこなくて。

しんどいなー!めっちゃ苦しいなー!薬効いたらええのになー!何か飲みたいよなー!


とおでこに手を当てると、あっつ🔥って思うくらい。


熱あるなー!!

しんどいなー!言いながら両手でおでこやほっぺたの端やさわると、顔くちゃくちゃにして、泣いてました。


そりゃあ泣きたいわ。ずっとしんどいのに、泣いてや!つらいんやから泣いてや!



職員さんからこの一週間の状況聞いて、氷枕変えてもらって………



想像していたよりは、見た目はこれまでと変わってなかったけど、だいぶ呼吸がつらそうでした。


右側の胸に手を当てると、呼吸に合わせて胸が上下するけど、左側に手をあてると、右より一段ペタンとさがる感じで呼吸の上下の幅が右よりかなり小さいです。


あー、肺に酸素入らないってこんな風になるんやわ…

と思いながら


吸っても吸っても入ってこないってどんだけ苦しいのか……



その後、娘とビデオ通話をして


先日私が見てきた千里川土手の飛行機の着陸動画を「見て見て!めっちゃかっこよかってん!」と無理やり見せて



娘がメールで、「いややなかったら写真撮っといたら?」って送ってきたので、旦那と私で写真を3枚撮りました。


撮る時に、ハイ!チーズ!ってゆうたら、ちょっと笑ってました。

すごい気力


これからどうなって行くのか


緊張感のある時間が続きます


頑張ります




汝、星のごとく  の続編。
良かった。
両方読むべし