こんにちは 蒼宗優です

親になれば 誰でも

強気になれる 

という 私がいます

子どもが欲しくなるのは

生理的現象であり

それが 自然です

と 思います

けれど どんな子であろうと

我が子が 産まれて

そして 教育する

それは 一番の現実です

私はもう 子供を もつことは

無いです 行き遅れですし

まだまだ 社会へも

出ていない

私は 子供で くじけ

生涯 一人でしょう

なぜ?これからでもいいやん!

って思うかもしれませんが

ひとつ やりたいことが

あります

それが 差別 人権問題で

環境を 考える事です

それは 子供の教育にも

あります

虐待 必要なことを満たさない

そんな親もそうですが

当たり前の ことでも

当人によっては そうではないこと

という 現実を

私は 受けました

広い範囲で みたくて

環境と いっていますが

そこには 改正し 改めることが

できそうで 決めました

まだ 5年後の話ですが

今は いろんな 心理について

自分の心について

作り上げている ひとりの

チャレンジの 毎日です

で・・特に 人種差別について

考える事は 多く

黒人とか バイリンガルなど

いろいろな 違いに

私は興味があります

いま 私の髪は 脱色して

金髪状態 これは

仕事でも そうしていたい というのが

願望です

実は この髪型でも 働けるところへ

行きたいのは やまやまですが

今のところ 無いので

ふらふらしています

で、ある時 知人のお子さんが

レストランをしているので

食べにおいで というので

いきました

その ウエイターさんは

金髪の オールバックで

黒の 背広を着ています

とっても 紳士で

素敵でした

という 概念も 

これから 出るのではないか?

という感じで

いまの 髪を やめることなく

5年は いたいと

思っています

それでも 何でという思うでしょう

なにより

金髪にすることで

道行く人は 引いてくれるといのが

いいんです

何分 あがり症なので

強気な人に弱いです

なので 金髪にして

心を つよく みせて

守っている 状態です

おしゃれというとか とか違います

ただ 楽なだけで

そんなりでも 声をかけてくれたり

一人っきりではないです

あまり 干渉されたくないので

こんな髪して

強く見せているだけです

あがり症は 本当に 厄介です

主治医は あるとき

こう言いました

統合失調症は

症状があるだけで

本来の性格には 問題は無い

というのもです

薬さえ飲んでいれば

普通です

とのこと

で あがり症は 生活に

支障がでます

いつまでも もじもじして

つかの間も しんどくて

気が焦って

自分じゃなくなる

確かに 統合失調症より

軽い 病気ですし

経験で治せるでしょう

けれど

その疲れは 凄いです

ひとより 緊張するので

安全が 確認できないと

何もできませんし

たいして 楽しみも無いです

で アルバイトなんて

できなくて

ずっと 引きこもりです

思えば そういう 子だったな

って 思い返しても

自分を どこかほっときました

ついに その気持ちも

ある時 付き合うしかない

という時は SNSや 

メルカリとか の充実で

対面してなくても

独りで 闘える という場に

慣れてくると

今まで 教室や 習い事で

幾度も くじけた あがり症に

できるだけ 

自分で解決できる 社会の

接点ができていて

本当に 未来が 明るくなりました

それは 外界を 受け入れるつもありない

とかではなく

あたらしい 仕事の 仕方を

手にいれて 自分を 解かってもらおう

という 思惑も あります

フリマアプリでも

簡単に 出品と 仕事ができる

知らないけれど 知ってしまったら

するしかない!

というので 今は シュミに

つぎ込んでいます

なにより 自分だけという

小さな会社ですが

ちょっとづつ 積み重ねて

いろいろな ことに チャレンジしたい

それは 5年という日々を

5年 働かない日々を

もっと 上手に使う いい事だと

思っています

できなかった日々を 嘆いていた時

勇気どころか 存在も

投げ捨てた 

B型事業所やA型事業所の

仕事も したくないのは

どこかで 自分の失敗を

みられたくないどころか

人の失敗も 自責してしまう

あがり症です

なので 良い人のようで

勝手です

この40年 ずっとです

それが いいのか

あまり 喧嘩をしたことは無く

誰もいなくても 結構

生きれる 生きれる

世のなかになったので

頑張るだけです

挨拶すら 緊張して

うまくいかない それでも

毎朝は来て

そのことだけでも 辛いです

やりたくない 漫画は

とっておきの スキルでした

でも やりたくないんです

そこから 私は 案外 たくましくて

やることも なすことも

できてしまいます

それは 恥ずかしい事もあります

どうどうとしているようで

でも
 
嫌いって言って 逃げる

そんな子です

物心ついた時は

親の教育で 頑張れって

言われました

でも

できないことはあります

それは 技術も勉強でもない

生きるために できなくて

不自由する その こころは

誰にもわかりません

なので 私は 唯一無二です

あがり症なので つよくなれない

人の事ばかり考える 弱虫

そして 汚くて 近づくのを

さける 

触られたくない

そこから 金髪にした

ちょっとの 努力

理解しづらいでしょうが

それが 私です

そこからの 発想は

ひととは 異なり

悲恋が好き

その 偏った 心に

ある人は グッドラックという

本を 紹介してくれました

きっと あの時

必要だったのでしょう

よく 覚えています

なので また この

blogをみてくれると 


嬉しいです

ここまで読んでいただき

ありがとうございました。
 

こんにちは 蒼宗優です

現在 筆を 閉まっています

描きたいものが 無かったので

漫画をずっと 描いてきたのですが

いろんな理由をつけようと

心では そんな自分が

嫌いでした

漫画は 子供が読むものという

感じは どこかあって

それが 時代は 漫画アニメは

当たり前でも

きっと もう 必要ないなって

ずっと 思っていても

手にとりやすい

共有できるというものは

漫画やアニメが 手っ取り早いので

それがいいと 思っていました

で・・・それは 違うけれど

理想は 何かひとつに徹して

書くという クリスチャンラッセンのように

突き詰められたらな

という 気持ちだけが

残っています

そうやって ゆっくり 暖めてきた

この20年は いろいろなものに

病気は 引っかかって

しんどい事だと思うと

病気は 暴れだしました

我慢が聞かないというのが

あっているような 気がしますが

それは 病気のせいです

主治医から 完治とは 聞きませんが

治ります

という言葉を はっきり 

ききました

なので 治るんだ 治ると

できることが 増えるよね?

って 希望を胸に

毎日は 過ぎます

昨日から 夜まで

グダグダ していても

楽しいひと時になって

また 毎日に

ひとつ 幸せが 作れました

病気は ゆとりが無かったことを

思い返せば そうだったね

って この年だから

恨むことも無く ひねくれることなく

いられる

ある意味 強い 心が

できていたことに 私も

驚いている 最近です

うまくいかない時は

トイレットペーパーも

買い忘れる そんな

ダメダメな 20歳でした

できることは あるのに

どうして わかってくれないの?

なんて時が 人一倍 あって

今の 心からは

考えられないです

病気というのは 辛いです

心の問題です

心は 問題ですよ

けれど 間違ってほしくないのは

身体であり 脳という 臓器が

負傷している 物質レベルの

解かっている病気です

統合失調症は 100人に一人はいます

それは 障害です

というのも 発症の原因は

解かっていません

手術するものでもないことは

病気ではない?とも

思うでしょうが

薬は 直接脳に効くものです

処方は 何も 気付かない

自然の流れで 始まるのも

その人に対して

どんな処方が 必要なのかは

薬のを 飲んで 

一年 まわって また処方を

考えて また一年は

投薬により 身動きは

加商となります

なので 本来の自分を

診れるまで

そして 一般的に

完治するところまで

持って行くには 精神の発達も

必要です

いつまでも 同じところで

ぐるぐるする

きっと 病気でしょうし

治すには 薬しかありません

でも 薬を理解できるには

その精神が 必要です

私は 宗教によって

服薬は 約束です

そこまで 最後

死ぬまで飲むことが

今の 医療であることに

納得して 辛い 闘病も

出口へ 向かう

人的な 力がそなわないと

完治できません

お医者さん一人でできないのが

ほんとうの 当事者の

考えです

いく所が あって 

訓練して ようやく 

気持ちが 社会へ向くように

支援者がいる

その 道を たどるのが

いやなら 私のように

ピアカンになればいい

自分の思想が私は 大切です

誰にもできない

もともとの

利発で 凛々しい

自分が好きです

で・・・トラブルは 

ありますよ

私ならではの トラブルなんて

ありありです

でも 諦めたくはない

病気とは 闘わない

それが 私流の

私の 病気との 向かい合い方です

そこに 人が必要なのは

本当です

同じ 病気の人が いなければ

自分は 人とは違うんだという

心でいたでしょう

障害者は 珍しくない

いわないだけ 知らないだけで

で・・・隠れてるわけでない

福祉のサービスが

いきわたっているのです

とくに この コロナ過で

看護師不足と言われながら

警戒の 緩和ができている

いくつの人が 命を

落としていても

今は それほど 脅威ではない

その スピードは 速かったと

思います

それは 病院や 福祉のサービス

そして 一般の会社

ホテルなどの 隔離のための場所の提供

真剣に考えると

日本は 一致団結が できていました

それは 日々 

病気と向かい合う お医者さんや

医療従事者の

戦いが この 特別な 時代の支えと

なったと 思います

それまで コロナは なかったけれど

それ以外の 難病を

診てきている 実績があって

私の様な 障害者も

手厚くある

そんな時 ひとは ようやく

病気の辛さを 考えた

この3年でもある

SNSの充実は また

一般の 小さな社会のことも

発信できる

今回で 学んだことは 多いでしょう

で こんな 障害者が

次の 医療も 次の新薬も

福祉サービスも

いままでの メカニズムで

十分 できることです

が どうにもこうにも ならないのは

その当事者の まわりを

だれも 救ってはくれないことに

あります

あなたがユニセフに 興味が無いとか

気持ちを伝えている 病気に

陰口をたたくとか

そのような 心無いことに

出会えば 弱くなるし

もっと 自分に固く心を

開かないとかになる

人の心は 病気でできたわけではない

けれど 病人と聞くと

心が苦しいひとのように

思う

近くに そう 思われたら

私も ついていけません

病気で心ができる 心が病気ではない

ひとより 調節ができないだけ

それは 薬をのめば できるだけ

それだけで

普通なんです

けれど 障害者になる理由は

お金が必要だからです

治療には お金がかかる

時間も取られる

できるだけ 診察を しなくても

薬を とりにいかなければならない

その 労力も 時間も

年数も 最後まで 死ぬまで

必要です

今 私は 元気ですが

これが

80歳90歳になると

自力では いけません

自力で頑張るけど

心配されるものですし

そして最悪も 考えても

福祉サービスは 必要です

ということも

お金はかかります

いまはいいかもしれない

でも いつかは

お医者さんの 年齢より

年上になるとき

はっきり 言えるでしょうか?

病状も 言えるでしょうか?

そのために

B型事業所やA型事業所

が 存在しています

まだ2015年からの 国の指針

まだまだ 不十分です

それでも そうするしかないのは

私には わかりません

病気は そうするものいうものも

始まったばかり

だから 多くの

当事者が ピアカウンセラーになる

力を付けて 生きる事に

意味があるのです

同士がいてくれると

私も 頼もしく 頼れます

あきらめない

私の顔を たてていただけられと

思っています

ここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

こんにちは蒼宗優です

つまらないことが

嫌いでした

私が 子供のころ

社会で 評価され

動かしているのは

40歳や 50歳です

母も 父も

ようやく 社会人ですし

その時は 親の天下です

それで 学ぶ 子供は

どこか 嫌いな 社会でした

とくに 子供向けの 番組は

親の 気持ちで

よくも 悪くもなるし

それでいて 年代で

基本は 教育ができる

年でもあることで

とっても 有意義だったでしょう

私は 今 40歳となって

均衡が はかれる

物思いにでも 発言権は

それなりに 歳のごとく

あります

人は なんでも 都合の良いように

はたいてくれる人が 頼もしいでしょう

私は 体験こそ ないでしし

経験不足ですが

当時 20歳 30歳では

まだ まだ どこか 

片隅で 泣いている 

社会に 反して いると

思っていました

そこから 自分なりに 

頑張ると 案外

できることが早く

気持ち ホントに あがり症が

何とかなれば

普通です

というのも 親の天下だったとき

私は テレビ番組が

嫌いでした

テレビは 娯楽ですね

でも 子供向けのものでも

子どもが決めたんじゃない

親が 親の気持ちで 

配信しているもの

その時のテレビの何もかもが

支配された 家庭のように

反感も許されないというか

反感をもてない

まだ 子供でした

で 今 今なって

私の 記憶に 

同じ世代の活躍を見ると

いっぱしに 社会に

影響されたことも

影響していたことも

納得がいく 時を

感じています

あの時は あらを探して

厳しく扱われた人も

それなりに 権利があり

社会に 貢献していること

それは 身近に感じる

私には すべてが 許された

現実の居場所のように

いくつもの メディアが

今の 私の 心の支えでもあり

そして アドさんのように

新しい風を 吹かせる

今の 未熟者も

覚えておけば いつかは

社会現象が そのまま

現実の経済と 結びつくと

思い 今の 

若者の 態度 仕事も

私は 過去

親の支配下であった時に

味わった 嫌な 空気を

そのまま では したくなくて

自分なりに 変えても

それは 必要ない事でも

ありました

だったら 社会へでるように

進める方がいい

あの時は 親の 扶養家族

それを 終えると

自分は できた人に

いつの間にか なっていたこと

そして 今の時代の

動かす 力であり

楽しい日々です

それこそ 芸能人に

共感して 認めることができると

大きく 心は 変ります

のように その時は

教育の問題が

いつしか 社会の 問題になり

必要なものが 手にはいる

入りやすい 時代に いまの

令和があります

私はきっと令和の 時に

自信ある 人になれたことを

誇りに思っています

確かに 天皇陛下の 時代

それは 私を もっと大きな

問題の ひとつに

心奪われ いま

目指すのは 環境です

環境問題を 考える事

人権 景観 食料 医療

いろんな ものに

興味があります

というまでは

漫画に 徹していて

ゲーム アニメ アニソンなど

そう 自分は それが

いいと言っている ようだったのですが

考えるとか 楽しむことが

できませんでした

で なんで
 
環境かというと 自然が好きだからです

朝の鳥の声も 春に泣く

子猫の声も 花のフットワークも

魚を育てることも

人権も 突き詰めたい

基本的に 仕事が 

あがり症で 頭でっかちになって

なかなか アルバイトもできない

で・・コロナ過の中

てがるになった リモートワークも

独りで 闘う勇気を もてても

ちょっと 経験が 不足しています

こんな 毎日でも

日々 成長していて

そして 今の時代の 波を乗る事と

社会を動かす 労働者であることから

どれだけの 思いをもっているかで

すべては 変ると 思っています

なにが 叶うとか 理想や

やりたいと おもうことより

子どものころの記憶で

辛かったことも 一橋 はずれていて

こだわったことも

今 社会は 時代を変えてくれていて

多くの子供だった人が

願いを かなえているとき

共感が生まれ 生きやすい時代と

なりました

ということから

これからのことは うまくいくでしょうし

次代の 子供も

解かってくる時は 辛いものであるという事を

わかった面するより

波に乗れた 社会人でいようと

思っています

ここまで読んでいただき

ありがとうございました。