こんにちは あおしゆうです

 

統合失調症 という 精神病の 当事者です

 

なかなか 珍しいと 思う方もいるかと 思いますが

 

100人に 一人の割合で いる病気でもあります

 

なぜ 知らない とか 珍しいと思うのは

 

これまで 統合失調症は 分裂病と 呼ばれていて

 

隔離したり 病院からは 出られない 

 

そのような 酷い ものです

 

けれど 発展し 原因が 解ると

 

薬で 治る という 現実があります

 

そう 治るのです

 

けれど お薬は 必要ですし

 

通院と 経過が 経たないと 治らない

 

社会とは ちょっと 接点の失う

 

闘病することになります

 

私自身は 17歳で 発病し

 

入退院が 20年あります

 

それぐらいは かかりますし 治るには

 

お医者さんとの 関係性もあります

 

とりわけ 思春期や 20代 前半で 多く発病する病気です

 

実際 症状として

 

幻覚妄想幻聴 とありますが これは 陽性症状であり

 

陰性症状は おっくう 意欲の低下 能力の低下 判断力の低下

 

いろいろと 苦しむ 症状は 人によりますが

 

それでも それは 症状でしかなく

 

そこの 状態を 薬で 補える ので

 

治る という事が 言えます

 

けれど 主治医にしか 解らない ということと

 

どれだけ 頑張っても 治らない 人がいる

 

私は 治るとか 治すとか

 

すべて メンタルの問題として 捉えていて

 

それこそ 自分次第 などなど

 

無理な 頑張りをしていました

 

自分を 追い込んで そして 治るんだ!

 

という 心から どうしても 病気であることと

 

治療することに 頑固にも 頑張る しかない!

 

と 私は 根っこっから 捉えていたのですが

 

いやはや そうではないと 最近になって

 

闘病と 現実に ようやく すり合わせが できたところでもあります

 

それは 調子が 悪くなる ことも

 

かえりみない という 姿勢が 悪かったという

 

教訓と そして 治る時には 

 

自分のできる事は そう 無かったという

 

努力に 見合わない 現実です

 

きっと 闘病だし 入退院として 時がたつと

 

私も 頑固になります

 

そうなってしまう 傾向は 強かったですが

 

今 当時の 事を 思うと

 

楽なことを 楽しむことも

 

幸せなことに 没頭するのも

 

いろんな できないというのは

 

理想を 追い求め そして できなければどうしようもない!

 

などの 苦しい選択をしたことで

 

苦しい 道が 行く先にはありました

 

という この 体験は 堂々としているけれど

 

実際は どこにも いけないとか

 

どこにも 通用しないとか

 

精神世界の中で 孤立しましたし どこも なにも

 

いく所など 無かったです

 

それでも 毎日は あります

 

なので 当然 進歩 進化し そして 病気に伏せるのです

 

というのが 頑張りだけでは 治らないというのも

 

これまで 諦めるな とか 頑張るしかないとか

 

努力しかないということを 書いてきた 結果

 

今 とっても しあわせである 事に 酔いしれていました

 

そんな 終わりから なにも みいだせないでいたけれど

 

そこから さらに 私は 得るものが あったのです

 

さくっと 言うと

 

能力に 目覚める そして 自分らしく 自分のできることがあればいい

 

など ごく 普通です

 

けれど ここへ来るまでは 相当な 頑張りがあります

 

なにぶん 統合失調症は ずっと あるし

 

精神障害でもあるために 自分でも 見えないことが いっぱい

 

ありました

 

そして 治る時には 自分という殻を 破らなければいけなかった

 

大人になる ということです

 

そこに 強いエネルギーが 必要なのと

 

変る時 変れる という 覚悟が無くては

 

頑張るとか 努力するとか から その先の

 

上手いことやる という 道が 見えなかったです

 

これは 私の体験であって

 

全てではないけれど

 

今 自分の道を 振り返り なにも無かった とか

 

どんな記憶も 辛いに 勝つものは 無かったです

 

その 辛いに 私は 力任せに 進んだのです

 

結果 丸くなって それこそ

 

自分に似合った 行動と 進歩が できる

 

そんな 収穫は ありました

 

というので 努力型 というのかな?

 

そういう 一面は あります

 

けれど そうではない人には それなりの その人の

 

やり方と そして 頑張りがある

 

そこに 私は 寛容になれて そして このような

 

blogを書くようになりました

 

今の 私のスキルは 能力に目覚めてから

 

すっごく 自由に 生きる時でもある

 

そう なると 不安とか 何か 誰かがいなければとか

 

そうなる 方が 普通でしょうけれど

 

一つ 精神的に 苦しんだ 当事者からすると

 

生きる力がある限り 途絶えることは無い

 

そう 決定的に 徹底的に

 

自分の 内面にある のです

 

な 強さは やはり 頑張ったからかと 思っていたのですが

 

そうではなかったのです

 

小さな喜び 小さな 世界の 確立

 

小さな  ことで 話す 時

 

いつも いつもできなかった

 

会話というものに 自分のあるがまま

 

そこから 仕事という 内側の世界で

 

どこまで 回復できるかは

 

努力では 何も ならなかったです

 

そういうことに 気が付いてからは

 

どうしてか 頑張るという力がある 私は

 

自分に 助けられたのです

 

なので 否定してもいいし そして また

 

同じでもいい という 天秤が

 

私の中で できていたのです

 

ということも いろんな 接点と 今の

 

SNSなどの 配信ができる 手軽さに

 

とっても 楽になったこともあり

 

今は 充実している そう ちょっと 落ち着きました

 

で 努力ではできなかったこと

 

それは 人を 動かすことです

 

強く そして 頑張ればいい という 私のスタイルは

 

どこか 損をしている とか

 

解っていない とか そして 理解できない という

 

粗が 出てきました

 

いつもいつも 熱血という人には 付き合いたくはない

 

そうなっていた 周りに 気が付いてからは

 

合わせる ということを し始めました

 

けれど そこに 行きたい時

 

成長無くしては たどり着けないのです

 

それも 確かに 病気なことで ままならないとか

 

足りないことも多いですが

 

イメージとして 子供が 繭の中で

 

どんどん 大人になる

 

大人として 繭の中から出てくる

 

そう 自分の先は イメージで こびりついていました

 

そこにいくのに 大分時間と 力と 容量と いろんな

 

栄養とか 休息 もろもろに ありました

 

という 時が 努力の先には あったのです

 

今 それで 良かったんだって 思う時

 

柔軟性のない 自分であったことで

 

どこまでも 力技 で 振り切ったことも

 

実際は 人それぞれでいいのではないか

 

そう 改めて 思い返しい そして

 

人には 人の 考えがある と

 

頭と 心に 止めておく そんな 心も

 

芽生えてきました

 

「これでよかった・・・・」

 

そう 私は 思う時

 

いつも 努力があったのです

 

けれど 決して そうではない 道がある

 

私は ちょっと 損をした と

 

思うのも きっと 自分をもっと 大事にできたらなって

 

頭ごなしに これは やるんだ!

 

という 中を 突き進んだのですよ

 

なんか きっと 私には 何もない どころか

 

それこそ 頑固であった って 

 

とうとう 繭の中から 出てきました

 

その姿が 今 鏡に映ると

 

とっても 奇麗だなって思う 目つきを するようになっていて

 

鏡を 磨きながら 朝を 大事に

 

「この しあわせものめ!」

 

って 鼻っ面 ぱしっと 叩いて

 

起きるのです

 

毎日 気が付けば 幸せであること

 

回復に 初めて 辛くない 日を 感じました

 

きっと 損したし 回り道だし

 

理解できないこともあり そして

 

伝えることはした!

 

って 焦っていたのでしょう

 

それが いつまでも いつまでも 続いたのは

 

ちょっと 無駄かもしれなかったです

 

こんな 統合失調症の 患者として

 

治る時は 来る

 

その時に 自信がないととか やっている 成果が見えないととか

 

自分を支える 手だてのないままでは

 

先ヘは 進めなかったです

 

それは 現実的に 自分の ために

 

自分の 経験とか 成果とか その先の 

 

楽しみ コニュニティーや コミュニケーション

 

という 接点ですね

 

無いとなると そうとう しんどいです

 

私は ここまで いろんな 経過をつかんで

 

その先の 自分のスキルとして

 

ある 仕事も そして ルーティンも

 

ある意味 それだけの 力があって

 

といっていいです

 

実際 私の 尊敬する 統合失調症の患者さんは

 

短歌を すっごく 真剣に していて

 

「私は 天才なのよ!」

 

って 言い切っていますね それも そうですよ

 

ぱかぱか 書ける っていうぐらいですから

 

そうとう です

 

本当に天才なのかもしれない

 

けれど 時代ですね 

 

治らない まだまだ メカニズムが 解っていない中

 

闘病されて とっても 病気の状態もあります

 

などなど 天才というのは ある意味 合っているのんですよ

 

けれど 人は 自分に向いていて

 

そして やっていられるほど 仕事なら できる のも

 

天才ですよ

 

今 私には 支援者さんが いろんな 関わりの中で

 

お仕事を されている

 

その 現場に 当事者でいて それでも

 

仕事しては 当然の 時間を している

 

ある時は とっても 悔しかったし

 

ある時は とっても 自分が むなしかった

 

そう と 自分を 追い込んだのも

 

損したなって 思います な

 

時間と 経過とか 進歩とか

 

どんなことがあっても 

 

17歳の時 ある意味 天才であった

 

ということで 丸くなるのです

 

自分に そういう 目指す 方がいて

 

その blogとか SNSとかで 知る

 

それが あれば もっと 楽になるのに

 

といっても 実際には 回復するとか

 

完治するとかは 2000年からしかない という

 

現場と 現実を 味わってきました

 

それに その年で 発病とは

 

とっても 神秘的でもあります

 

なので いかなる時も 情報は無い

 

そして まだまだ アンダーグラウンド

 

今 42歳!

 

な・・・時に やるべきことが ある

 

そう 気付ているのです

 

普通に ごく 普通に 生きること

 

きっと できないって いんどいって

 

いっぱいあるでしょうし 

 

今の 情報の中では

 

これ以上は 危険とか やるべきことではない

 

回避しようとか ちょっと 休もうとか

 

とにかく 危険は とっても解る!

 

な 促し方でもあります

 

というのも 良くなって どうやってよくなったか?

 

という 情報は 少ないのです

 

それに 病気的には 主治医や お医者さんが

 

解っている 治るんだ って もう国が

 

外へ出るように 進めている

 

そんな 今なのに これした方がいいよ

 

っていう 情報が 無いのです

 

きっと 支えられない のは 当事者同士です

 

もろとも 海に沈む そんな

 

力のない そして 社会的にも 何もできない

 

そんな 力のなさを 私は 味わってきました

 

私には 私には 何も 信頼も そしてスキルも 経験も無い

 

そう 嘆いている 時に

 

努力だけで やってきた その 時は

 

今を 想像できなかった

 

そうなんです 本当にそうなんです

 

今 ようやく 楽になる 楽にする

 

そして 先を見ている 見える ところまで上り詰めた

 

な 経験を 書くことも

 

そして 苦しくても 前向きに なる こと

 

いつの間にか 私は 自分の体形が太っていても

 

仕事とは 関係無い

 

って 幸せにも そういう メンタルです

 

小さなことを 集めるには 苦労するけれど

 

ハードルは 低くして

 

そして ノルマを 作り

 

ただ 通所するとか 仕事をするだけでは

 

できない 自分の時間を 大事にした結果

 

今があるのです

 

努力とは 強いですよ

 

けれど 出来なくなるってなると 弱いです

 

こんな道しか 作れなかったなって

 

損している

 

今 私の 直面していることは

 

普通の 健常者さんと 何も変わらない 悩みだと

 

思っています

 

一緒にされては 困る って 

 

そう 障害者が 同じではないでしょうと 

 

言われるかもしれないけれど

 

回復し 常に 薬も飲んで 

 

いつかは 幸せになりたいって 思っていたところが

 

どうしてか 朝 起きると

 

「この しあわせものめ!」

 

と 鼻っ面 ぴんって 叩く

 

そんな 毎日が 私の ルーティンです

 

何か 闇は 去っていった

 

そして 仕事や 自分のために 生きること

 

そこから 出会う人と

 

過ぎてゆく時間

 

なんだか 病気を 忘れます

 

そう 今は そうしている かな?

 

これまでは とっても 大事な自分を

 

大事にしすぎたね・・・って

 

言えるし そこから 主体として

 

私は 主人公ではない としていくことができて

 

案外 自由にしている

 

いま 言えることが 何であるか

 

また また 皆様と 同じ 目線で

 

そして 自分の情報として

 

ピアカウンセラーは 終わらない気がします

 

当時 5年前に blogを始めて

 

この5年で 出し切った感がある

 

その時が とっても 良かったなって

 

今は どうしてか 成果とか 対価とか

 

それこそ 仕事になっている

 

その 5年の blogは 消してしまおうかと

 

思いもした そして 辛かった 

 

けれど 今 できることがある

 

そこには まだ 目ざわりではない 過去を

 

しょっている のも ありですね・・・・

 

そうな 今を 今日は 書きました

 

なんだか しばらくの間に また

 

タイピングが 板についたなって

 

思う中で もう 最初っからって 

 

もう リセットなんて 無理なんだ!

 

ってなる 自分の 豪に

 

とっても ぎくしゃくし とってもナイーブであり

 

とっても 辛くもあるけれど

 

ここから 話していく自分には

 

見えている 景色に 良い事がある

 

その時を 進むことで 自分は 楽になる

 

そんな なんでもない とりわけ 何があるわけでもない

 

きっと そんな先に 思っている

 

何かが 私には 見えている

 

これまで ピアカウンセラーとして 記事を

 

書かなければ 今の自分はない

 

そんな になるって 思っていなかった

 

正直 思ってなかった けれど

 

じわじわと 私は この病気に勝つことで

 

私は 何をしていたのだろう・・・・

 

って 思い返せるとき

 

ああ・・・そうだった・・・

 

って いくつもの キーワードが あるのです

 

時として 時間は 私を 強くしたけれど

 

努力を 常に 使うために

 

通所と 主治医 そして 薬と 支援者さんと

 

その中にいるから 出来た事でもあります

 

その中とは とっても 小さいですし

 

本当に どうなるかんて 解らない

 

けれど 人の中で 人になる

 

その 端っこでも ちょっとでも

 

人と会うこと 仕事とは 言えなくても

 

仕事にすること その時は とっても 見えないけれど

 

確実に 治る その 支援があること

 

そんな中では 自分次第

 

そうなるのですし そういう 経過を ちゃんと

 

責任を取ってくれる 事業所もある

 

きっと そんなもの 慈善事業だ!って

 

そう そうだと 思うのも 仕方ない!

 

それが 本当なのだから

 

自分は 障害者として いることで

 

どこか 辛さを 言えるし 出せる

 

その 矛先の 事業なんて 不親切

 

そんなものですよ 

 

けれど そこで 自分が 治るって 気づくと

 

案外 事業所は 病院は

 

それまでの ギプスのように 思い

 

外れると それは それで 辛いことが さらにある

 

そんな リハビリの 連続です

 

それは 身体的に 無事だとしても

 

心の 傷も 身体に影響する

 

当たり前の 病気です

 

よくある 100人に 一人はいる 病気です

 

精神病って何なのか?

 

それは 確かに 天才であったとしか言えないけれど

 

発病する 不運は しょいこむことは無い

 

楽に そして 楽になれる時

 

意外にも 私は 仕事したいって 

 

思いました

 

こんな 記事が できること

 

ピアカウンセラーとして 今度は

 

責任を 感じるぐらいの ことを したい

 

そうなる そう思う時って

 

もう この悲しみを ずっと続けている人に

 

どれだけ 救える ことかと

 

ピアながらに 思っています

 

ただの blogが 私には 過去の私の

 

苦しみを 訴えることのように

 

ただ ただ 生きた

 

これは 治るから できると 不安にも

 

治るんだ!て だけだった

 

な 自分でも 無理だって 思っていた

 

その 現実からの 快進撃でもあるのです

 

ある日 きっと 出会う事

 

それが 主治医の 一言

 

「治ります」

 

とだけ・・・・

 

そうなれることと そこからの 時間は

 

私が 当時の スローガンである

 

「しあわせになること」

 

その 気持で良かったって 思いました

 

こんな 記事ですが

 

どうか お役に立てることと 思っています

 

ここまで読んでいただき

 

ありがとうございました。