電車に乗車したとき、入口のドア付近に高校生とおぼしき若い子が3~4人かたまって床に座っている場面に出会うことがある。
こういった人の出入りが多い場所に座ることは確かに非常識だと感じるが、彼らの中にもさまざまな理由で床に座り込んでいるというのがしばらく様子を見ているとわかる。
自分たち仲間内だけの世界(空間)を作り出したい子。
誰かが注意してくるのを待ち構えているかのように周りを見回し、敵意丸出しの視線を投げかけてくる子。
みんなが床に座るから付き合いで座っている子。
他にもさまざまな理由で座っている子がいることだろう。
彼らは確かにマナー面からみれば迷惑な行為をしている。
しかし、彼らのような行為を非難する「大人」と呼ばれている側に、もっと危険な思考・行動パターンを持つ人間の存在がある。
この人間たちは、自分が正義感を持った良識ある一般人だと認識しているからやっかいだ。
この人間たちの思考回路はおおむね次のようなものだ。
「こいつら(電車内で座っている子たち)に注意してもどうせ無視するか絡んでくるだけだ、注意してアゲタイがやめておこう、全く親の顔が見てみたい」
推測ではなく、こういった場面に遭遇したときのことを話しったことがあったので、実際に聞いた声だ。
そしてこの人間たちは注意出来なかった自分を認めたくないらしく、注意してもこいつらは変わらない、と自分が何もしなかった行為を正当化し、自分は正義感があり、良識もある、と自分を評価している。
こういった人間の思考がエスカレートしていくとどうなるか。
次に起こす行動として、正義の味方になったつもりの行動へと移行していく。
例えば、歩道に乗り上げて違法駐車している車があった場合、夜間で人目がないことを確認してから違法駐車している車のドアミラーを叩き割ったり折り曲げたりといった犯罪行為を犯す人間が現れる。
本人は悪い奴をこらしめてやった、というような満足感で一杯の気分になっている。
幕末に例えるなら天誅とでもいった気分だろうか。
自分の中にくすぶっていた欲求不満を何か非道徳的なものに対象を求め、正義づらをして犯罪行為に及ぶ。
犯罪であることを自覚しているので行為の前に必ずあたりに目撃者がいないか、注意している。
そして数ヶ月後、自身の中で時効が成立したかのごとく自慢げに周りに話をする。勿論犯行前に目撃者がいないことを確認したことなど話はしない。
こんな間違った正義感を持った「大人」が増えてきたように感じます。
全員とはいいませんが、こういう人たちって、「村上がどうとか、三木谷はどうの」なんて結構ぶつぶつ言ってる人に多いような気がします。
ちょっと暴言気味かもしれません。
掲載写真と本文については、何の関連もありません。