思ってることをなかなか言葉にできない期間はしばらく続きました。
その間は、大好きって思う人達といても、
心地よい空間にいても、
自ら発するより、周りの話を聞く方が多かった。
自らのことを話しても、
それは、本当にそう思っているようで、
実はそう思おうとしている自分を
演じているのではないか、と
疑うような時もあって、
どれが本来の自分なのか、
自分の思ってること、感じてることなのか、
よくわからない状態が続きました。
だけど、そのスッキリしない、モヤモヤなのも本当の私。
少し前までの明るく元気でいつも笑顔な、
テンション高めの自分自身には戻れなくて、
なんてつまらない人間なんだろうって思ったりもしました。
自分のことを話せる人が羨ましいなって思いました。
そんな中でも、
ほんのわずかな時間、まとまりのない、自分では言いたいことの半分も言語化できない、
子供以下の話をした時、
聞く耳を持って聞いてくれる人がいて、
「受け入れてもらえた」と思えた時はとても嬉しかった。
自分自身も含めて、
「聞くよ」って姿勢で聞いてくれる人って、なかなかいない。
大抵、ながらで聞いてたり(特に家族間)、
聞いてる風で別のことを考えていたり。
そういう姿勢は、
どんなに装っても、聞いてないのがわかるから、
それがわかった途端、
私は言葉を飲み込む、ということをいつからか、するようにしていた。
聞いてくれない人が悪いわけじゃなく、
聞いていないと勝手に決めつけて、
心の扉を閉じている私自身の問題。
いつでも扉を閉じれるように、
全開にせず、少し開けて、
「大丈夫かなぁ」って様子を見ていて、
目の前の人に対して、信じていなかったんだなって今は思う。
自分のことも信じてない。
「どうせ私の話は聞いてもらえない(受け入れてもらえない)」
って思い込みを作り上げ、
言葉にすることを放棄してしまっていた。
本音で話せる仲間達を作りたい
そう口にしながら、本音を言わないでいたのは、この私だった。
それが変化してきたのは、、
約1年かけて、次元変更実践講座を連続受講して、自分の思考や行動癖と何回も向き合って変えるように取り組んだり、
春から始めた、ボイストレーニングで声を出すようになってから。
言語化できなくても、
できないけど、伝えたいって意思は口にするようにしたり、
とにかく浮かんだこのことを口にしちゃおう、ってするようになってきた。
言葉にできないことで、居心地悪さを感じることことも、
話せる人が羨ましいと思うことも無くなってきて、
「なんかイベントとかしたいな」
って思って、
ダイエットの先生でもあり、
禅タロットの先生でもある、
さおりさんに連絡して、イベントの事を相談するつもりで会ったら、
Kindle出版のプロデュースを始める、
と聞いて、
「この時が来た」
って心の奥の方で聞こえて、
やることを即決したのでした。