介護サポートや病気サポートで私が大切にしたいと考えたこと体験してきたこと。2

こころどこそこ・・・
気力もなく・・・・元気だった面影も消えた状況になって・・・ある程度室内でも自分で歩くようになった時・・・
よく父共に・・・・近くにドライブに言ったりしていました。
 
たしか??買い物も一人ではいけなくなってしまったこと。
本人から意見を聞いて・・・・
 
当時??たしか
「近くでの買い物はできない??したくない」
そんなことを言っていたので・・・・
車で10分ぐらいにあるスーパーについて
相談した。
そこには多分近くの人たちは買い物に来ないだろうと予測できたので・・・提案したら・・・・本人が行ってもいいと
言ってくれたので・・・・
そこに行くことにした。
リハビリーや訓練を日常生活に落としこんで・・
スーパーを外出になれることや人との触れ合うことに慣れたりなどのコミュニケーションの再構築の再学習に一緒に取り組むことにした。
 
 
 
今考えてみれば・・・
自分の変わった姿をご近所の人たちに見せたくなかった??
もしくは傷つきたくなかった・・・
んだろうと推測している。
何年か後に・・・それらしい当時の日記のようなものが出てきて・・・・
自分の状況が変わる事への恐怖心や他人の目の怖さなどが・・書かれていた。
 
 
その時もいまのかんがえてしまうのは
もし予兆のようなものに早く向き合えたら
気づけていたら・・・・
こんなにひどくはならなかっただろうなって・・・
度々・・・自分を責めた。
なぜきづけなかったんだって。
 
 
 
わが家の場合・・・
中心的な役割を担っていたのは母だった。
家事全般はそうだし・・・
ちょっとしたきづかいも・・・・・・だった
当然母以外のものは、男なので・・・
気遣いが下手だった。
 
それは…母の状況が悪くなってから・・・
本当に男どもの対応(気遣い)のなさに
淋しさも感じた。私も含めて(笑)。
 
 
 
いまでは慣れたのだけれども・・・・
大変なことは・・・
サポートだけではなくって・・・・
女性のもの(例えば下着や尿漏れに関すること)を準備するために買い物に行く際などいろんなことで苦労した笑。
これがこどもが女性だったら・・・って何度も・・おもうこともある。
そして・・・サポートするのが性別が同じだったら本人も助かった部分があるだろうなっておもうことも何度もあった。
特に乳がんを発症したときはそう思ってしまった。
 
 
 
 
精神疾患を患う家族のサポートをしてきて・・・
自分の父が母と共に買い物に行ったりした際に
見て感じたのは・・・
ただ一緒に買い物に連れて行ったという関係と
指示命令などが多いこと。
そして・・・本人を尊重するというよりも・・・
主導権は家族が操作している点。
 
 
昨日、道具的コミュニケーションと経験の共有コミュニケーションを紹介した。
 
私が少しだけかじって学んだことに人間としてこんな特性があるという。
攻撃的、
防除的
もしくは・・
自分の意志を封じ込めるか??
さらに・・・・
 
ここで考えたいの
自分の意志を封じ込めてしまうタイプの関係性のこと。
 
攻撃的とは・・なにかについて指摘したら反論したり、
もしくは身体で表現したりする反応。
防御的とは・・・相手の言いなり聞き相手の意見を優先している状況。自分を保護守っている状況。あまり意見を主張しない。
 
封じ込めるというのは・・・自分の意志を表さず教えず・・・隠して・・示さず・・・ただ指示されたことをする。(いい子だとおもわれやすいけれども・・・実は)
(責任を持たないのので・・
例えば失敗した際は・・かならず言われたのでやりましたと。相手の指示を受けて自分でそれを考えて責任をもって行動したというように自分で選択しておらず、
だだ指示・・命令したことをこなしたという考えである。
 
この関係って結構楽に見えるけれども・・・・
成功も失敗も指示した人の責任・・・意思であるという状況なので・・・まるで操り人形のような状況の関係がそこにあって本人は他人事のように接していて責任を持たない。)
 
 
私的には・・・
この自分を封じ込めるような状況の関係が・・・・
実はちょっとした問題で・・・・・
本人の意思を尊重していない関係で・・・・
本人抜きで・・・・
ただ家族や周りに関わる人たちが動かしているだけで・・・
本人にとってそれはいいことでもなく・・・
もしくしたら苦痛でかえって本人を状況を考えずに
こちら都合で無理に行動させているので
悪化させてしまう・・・可能性を生み出してしまっている。
もしくは自己を開いてくれない関係を強固にしてしまい
自分で何かをしようという気持ちを削いだり、
生み出すことを阻んだりしてしまう可能性を与えてしまうというような解釈が私にはあった。
 
ので・・・なるべく・・・・
指示や命令をするようなコミュニケーションを嫌ったし
なるべくそれをしないように心がけた。
と同時に当たり前のことなんだけれども・・・・
母は母であるという概念は変えずに・・・・
病気であろうが・・・
これまでのようなしぐさがみえなくとも・・・・
本人は変わっておらず・・・・・
病状とは切り離して・・・・
(ここで本人は本人の専門家であるというような
ナラティブの姿勢も大いに助けてくれた。)
本人を尊重しながら・・・・
母は母であるということを貫くようにした。
 
 
そしてある時期から・・・・・
怒る・注意も少しずつ減らすことにしていった笑。
 
(急ぎ足で感情優先に書いているために・・・誤字脱字や
文脈的におかしかったりする場所がありますが、なにとぞご了承ください。)
続く