#片田舎のおっさん、剣聖になる

#シーズ1-2

アリューシア・シトラス の修行時代に

ベリル・ガーデナントは出稽古で帰る道で

アリューシアの問いに

 

ベリル先生がアリューシアに大切にしてほしいことを語る

 

「勝ち負けよりも何を得るのかを大事にしてほしいな」

 

ブドウと経験を長くお世話になる身として

若い頃大変お世話になってばかりの師匠に

 

「勝敗は己の中にある」

「勝った試合には学ぶことが少ない」

 

 

久しぶりの片田舎のおっさんシーズン1を観ながら

どんなことにも共通することだけれども

 

「その体験や経験からどんなことを得るのかを考える」

 

本当にそうだよなって

アリューシアさんって本当に素敵な師、指導者に出会っているなって。

 

 

 

勝ち負けに囚われて・・・

正解と間違に囚われて・・・・

 

そこから多くのことを学び得られるのに・・・

 

もしかしたらどんな事柄からも学べる得られることを

 

考えられるような思考を育てたら???

 

 

ダイアローグの姿勢のようにまとめることなく

答えを出すこと急がず求めず

自然に考え感じ・・想い・・対話して

 

したら片田舎のおっさんのように謙虚に(やさしく)なれるかな笑。

 

#21世紀の大君夫人

#9

 

□偽装結婚の契約書が流出した

報道される3日前に大紀ユン・イラン(キャスト:コン・スンヨン)は 総理ミン・ジョンウ(ノ・サンヒョン)に相談を持ち掛ける。契約書を持参して。

彼女はいうすべての罪を被るのは大君夫人。

この5日前総理ミン・ジョンウは ソン・ヒジュ(IU)婚儀で倒れた調査報告が上がってきた。イ・アルム(キャスト:チェ・ジス)を取り調べ供述する。

府院君(王妃の父) ユン・ソンウォン(キャスト:チョ・ジェユンから費用を暗号資産で受け取っているということ。音声録画を調書にして大紀ユン・イランのもとに持参し真実を問いかけた。彼女は父ユン・ソンウォンのもとに訪れ真実を知ることになる。彼は先王の死因などすべての根源である イアン大君(ピョン・ウソク)を消すこと、もしくは王族から外すことを計画していた。

 

総理ミン・ジョンウは大紀ユン・イランに考える猶予として夜まで時間を与えた。

 

先王 イアン大君の兄 イ・ファン(キャスト:ソンジュン)は妻大紀ユン・イランに王を弟イアン大君に譲ることを相談する。二人が口論している時、現王イ・ユン(キャスト:キム・ウンホとイアン大君は彼らが話す後ろの部屋で

それを聞いていた。二人はおもちゃで遊んでいると先王が譲ると話す声を聴くのだった。

(子供である現王は聞いてしまう。父は王の権利を弟にわたして死ぬよりはましだろうというのとは別に母が死ぬほうがマシです。いっそ死んでくださいイ・ユンのためにと言い返す。子供である現王が親のケンカに涙を流す。イアン大君は叔父として彼を暖かく包む)

 
総理ミン・ジョンウはイアン大君に摂政を退くことを提案する。イアン大君はヒジュを守るために自ら国民の前で弁明するというが国としては落ち着くまで待つことを選択するが・・。
府院君(王妃の父) ユン・ソンウォンは現王イ・ユンに会い イアン大君の職を解くことを脅す。それをみたイアン大君は怖がる現王イ・ユンを付き人に頼み部屋の外に避難させて彼の首を絞めて脅す。
 
世論は揺るぎ・・・婚儀の調査はキャッスルグループまで及んだ。すべてはヒジュが企てたことであるかのように・・・
 
仮面夫婦の仮面がはがれて真実の顔を見えようとしていた。総理にも父にもヒジュは本来の顔をのぞかせた・・・。
父に初めて助けを求め・・・解決策が見つからないと
父は尋ねた。ヒジュか?それともイアンか?
ヒジュは彼を守るために・・・・
ヒジュはイアン大君と会い目に涙を貯めながら
いった
「離婚しましょう」

#ロマンスの絶対値

#韓国ドラマ

#10話

 

数学教師兼担任の先生が会っていたのは、中学からの同級生で友人であり数学の研究者であり、フィールズ賞*を
 
*フィールズ賞は、4年ごとに開催される国際数学者会議の機会に授与され、これまでの業績および将来の成果への期待に対して、卓越した数学的功績を称えるものである。(

IMU(国際数学連合)のフィールズ賞についての記事をDeepLにて翻訳)

 

授与された女性の教授だった。彼女は数学の先生に相談を持ち掛けていた。久しぶりの出会いに二人は楽しく会話を楽しんでいたが・そこに美術教師であり学校の理事長と親戚関係にある美術の先生が訪れ・・彼等の中を不機嫌な気持ちにさせる。彼らはこれ以上会話を楽しめないと考え

カフェを出て別れようとしたところ主人公は二人の間のことが気になり女性に声をかけた。主人公は女性に関係を尋ねると中学生からの知り合いだという。この女性がフィールズ賞を受賞者であることも美術の先生が話していたことから知っていた。主人公はぽろっと口をこぼしてしまう。

「長いお付き合いなんですね」

 

 

女性教授はまた会いましょうと主人公に挨拶をして車に乗り込み去っていった。数学の先生を追いかけ一緒に帰る二人。主人公は先生に女性教授の彼氏について尋ねた。

先生はなぜそんなことを聞くといい・・彼女に今度の数学の試験で50点以下ダッタラ親御さんたちにあの事を話すと脅した。そして教授が言っていた先生への「かんがえて」という言葉が気になってしかたがない主人公。

コンビニでコーラを買う主人公。便秘でまた搬送されなければと心配する数学教師。彼女は先生に話す。弟に小説のことを知られて奴隷のようにこき使われていることを。

そして主人公は尋ねた。先生はなぜ先生になったんですか?無言のまま立ち去っていった。

 

 

新人教師陣たちはなぜ数学の先生にフィールズ賞を受賞した女性教授が訪れたのかを考えていた。

 

主人公はちょっとした嫉妬心から・・BL小説に女性教授をモデルに物語に参加させて書いていた。国語先生をモデルにしているBを監禁して拷問する女性教授をモデルにした女性Cの所に助けに訪れる数学の先生をモデルにしているA。

そして助かるBが途中で自分にすり替わり・・・Cを殺害して二人で去っていく。

 

翌日教室で生徒の名前を呼んでいると・・・いつも遅れてくる女子生徒がお酒の匂いをさせて入ってくる。数学の先生が彼女を保健室に向かわせ・・今日の掃除当番である主人公に再度掃除を指示した。

保健室に向かう途中、美術の先生が彼女を見つけ・・校長室へと連れていき、数学教師は校長先生に呼ばれてしまう。呼ばれた数学の先生が生徒を校長室から席をはずさせ

校長先生に願い出た。家庭環境は複雑の中学校に来る彼女(両親のもとから離れシェルターで住みながら一人で稼いで学校に来ている)のことを少しだけ配慮してほしいと願い出る数学の先生であったが、校長は許さなかった。

 

数学の先生が生徒に・・校長先生に相談するから身支度だけはちゃんと正せと指示をした。美術の先生が校長室から去り際になって数学の先生とフィールズ賞を受賞した女性教授が知り合いであることを告げると、校長先生は姿勢をだだしなぜそれを早く言わなかったのかと問い詰める。

 

彼女の処罰は一旦保留となった。

 

相変わらず主人公と親友の関係は修復されるギコチナイ空気を漂わせていた。

夜いつものように小説を書こうとすると弟から指示がある。コーラを買ってきてほしい。断ろうとすると・・・

弟は両親に話そうとする・・・慌ててコンビニへと界に向かう主人公。コンビニから二人を見つける主人公。

国語の先生と数学の先生が話していた。

嬉しそうに二人のもとに向かう主人公

 

 

国語の先生は数学の先生に尋ねる。

「共同研究したいって相談されたんだろ」

 

国語の先生は言った

「おまえがほんとうにやりたいことをやるべきだと思う」

「チャンスがきたんだからアメリカでやれよ

自分のやりたい研究を 後悔するぞ」

 

それを聞いていた主人公は後ろから尋ねた

「アメリカに行くんですか?」

 

 

#ロマンスの絶対値

#韓国ドラマ

#9話

 

担任であり数学教師である先生からBL小説を自由に書いていいといわれた主人公は先生の「理解してみる」という言葉にキュンキュンし始めてしまった。先生を意識する自分と全否定する自分が対立しながらも・・・心はキュンキュンと・・・数学先生のことを考えてしまったり、教壇にたつしぐさの一つ一つに意識してしまう自分に悩みだす主人公は、親友に相談を持ち掛ける。絶対に好きになってはいけない相手に・・・・そんな相談をする主人公に・・

あんたいつものような沼落ちしているよと助言する。

さらに意識しだしてしまう主人公。親友は相談されて恋相手は体育の先生だと勘違いする。うまく相談できない主人公は相談を中断する。親友が図書館で本を読んでいると親友が好きな国語の先生が本を返しに訪れると。図書員をしている主人公が向かい詩の書きたたの助言を仰ぐ。遠くから見ている親友は親しく話す主人公に少し焼きもちを焼く。主人公に向かって「いつからそんなに国語の先生と市親しくなったの、私なんかだた眼があっただけで・・・緊張してしまうのに・・」

 

またある日・・廊下で主人公と国語の先生が親しくしているところを親友が目的してしまう。

嫉妬心から彼女はこう思う。以前相談された絶対に好きになってはいけない人とは国語の先生では?

彼女は国語の先生と別れた主人公を誘い出し・・・尋ねるが・・・主人公は誰が気になるのかを語らない。

かたらないことにより親友は確証を得たかのように勘違いして不機嫌となる。

 

ケンカしてしまった親友と仲直りができるかと心配しながらも仲直りできるだろうと思いながら・・・

 

いつものようにBL小説を書いていると数学教師のモデルAと国語の教師モデルBとのやり取りが何故が???

自分が国語の教師モデルBにすり替わり・・・すらすらとかけてしまうことにびっくりしてしまう。

 

翌日カフェで英語の勉強をする。英文の単語( snow )の一文字が気になってしまう。親友が言っていた初恋とは・・・・雪のようなもの。英単語 snowを観ながら考える主人公

私の初恋は数学の先生なのか???

心ときめきキュンキュンしながラ・・否定するもう一人の主人公。カフェラテ(生クリーム入り)ができたブザーが鳴る。テーブルに持ち帰り飲んでいると遠くの椅子には

数学の先生がいたことに気づく。そして彼が飲んているのは‥自分と同じ飲み物・・・主人公はこれが運命って安家とキュンキュンと恋を育てていると・・・・

数学の先生が手を振っている・・・

手を振っている先から一人の女性が現れ・・・二人はハグをする。

そのシーンを見た主人公は独り言をささやく

 

「だれにでもいる ひとりは胸がキュンとなる人がいる」

 

ドラマ 「不適切にもほどがある」

シーズン1のラストだったか・・・

 

寛容という言葉が使われた。

 

現代って・・・多分私的には

マインドセット風に考える硬直マインド思考が育ちやすい環境化が整いやすいような気がする。

 

そして、間違いや誤り、失敗などを軽視する考え方が

強くなっているような気もしてならない。

 

私的な解釈の一つの理由は便利になってサービスや

使うものにエラーなどのようなことが少なくなっていること。

似たようなことでこれは昔からいわれてきたことなんだけれども・・・・ちょっとだけ誤解しないで読んでほしいのだけれども・・・

発達過程に課題がある人たちと似たようなひとたち(予備軍や症候群、もしくは似た状況)が増えていく・・のではないかといわれてきた。

理由は簡単で・・・人間と人間とのかかわりが少なくなっていくから。

 

ちょっとだけ考えてみてほしい。

すごく周りは便利になっていませんか?

誰かに気を遣わずに・・タブレットやスマホで買い物ができたり・・・スーパーに行けばセルフで精算、

レジに並んでも支払いは自分で・・・。

 

一人で簡単に気兼ねなく・・・

人間と機械との人間側のコミュニケーション一方通行

機械は人間のように間違ったり、失敗することは少ないので・・違う意味で私たちは間違った考え方を持ってしまう。機械は間違わない。正確だ。

 

前提に思考で機械は正確で間違うことはないと認識しているので、偶然的に壊れたり間違ったりすると、

人間は怒る、もしくは違う何かしらの意味を与える。

 

このあたりまえのようなサービスが普通常識だと認識してきた場合、これが基準値になるために・・・

私たちはどんどん・・・と間違うってあり得ないと考えるようになっていく傾向がそこに生まれる。

 

間違えるなら自分でやったほうがマシという考え方が生れた時・・・コミュニケーションをとることが億劫になってしまうので・・・コミュニケーションが下手になっていく・・・。

違った意味で・・コミュニケーションとか話すってことって一部技術を磨くって感じな部分なので・・・

例えば料理をしていた人が料理をしなくなって数年後

料理をしたとき・・どうかといえば・・たぶん昔のように作ることは難しい・・・はず??

というのは、料理は技術的な要素が多くあるから。

 

 

コミュニケーションは

お互いの反応で生まれる空間でもあるので・・・

会話も同じ空間なのだけれども・・・

 

 

ここで何を書きたいのかと言えば・・・

 

コミュニケーションは不得意っていう人たちが最近増えていると思うのだけれども・・・これはその人自身の課題ということではなくって・・・私的には人間を介してのコミュニケーションを必要とする場や空間や環境が減ってきたことにより・・・関係性を構築することがこれまでよりも逆に難しくなってきた、

もしくはうまくできなくなってきたという環境などの影響力が及んでいることではないかと私は考えていたりする。

 

例えば、数年前に子どもたちへの犯罪があってから・・

地域の人たちへの挨拶ってことをしない風潮が生まれた。

近隣の近くに人に挨拶することでそれが知り合うきっかけとなり犯罪に巻き込まれるかもしれないという考え方で。

しかし・・・この取り組みの結果・・私たちは・・・

もしくはそこで経験してきた人たちは・・・挨拶というコミュニケーションを学習する場が少なくなった。

 

同じように企業などでのサービスで提供される接客接遇も・・どこかで当たり前って感じで認識している。

当たり前のことだけれども接客接遇も技術なので・・・

普通にしていてもうまくはいかない。

 

 

 

このようなことをかんがえていくと・・・

私たち大人が??最近は耳にしないかもしれないけれども・・・「いまのひとたちは」という言葉が教えてくれているように・・・・

 

私たちは日常生活や環境に影響を受けているので・・・

そのような状況に似た状況がそこに生まれる。

 

だからこそ孤独や孤立って言葉の意味は

環境化によっても異なるので・・・

 

 

一人になることが簡単になっている環境がいまここにある。これはいいことばかりとはかぎらない。

 

そう考えると・・

家族って形も

もしかしたら家族という組織的な能力(役割・担う)が稼働されていないこともあるのではないかって思うこともある。

 

 

 

なので最近考えていたのは・・・

もしかしたら私たちは・・対立関係要素が強くなっていたり孤立しやすい姿勢が整っていたり、自己中心要素が強く働いていたり、他人と関係を作るのが難しかったりなど・・・その本人のことではない部分について・・・

 

 

人間と人間の間でどんなふうにしていったら・・・

自分だけではなくお互いによい関係として

 

物資や自分への利益追求ではなく・・・

 

人間が人間の良さに向き合いその恩恵と共にするには

って・・

 

誰かのダメな部分を咎めたり・・・

仲間外れにしたりせず・・・

 

 

何が新聞で・・・人間のこれまでの推し活とかのような

思考要素の隙間にAiが入ってきたっていう記事を読んだような記憶が・・・・

 

僕らは誰たちと生きている・?!??