わが家起こったことは・・・

母親の異変・・・・

当時はあまり気づかなかったのだけれども・・・

ところどころにメモが貼ってあったこと・・・・

当時日記のようなメモが見つかり・・・・

そこに自分の状況について書かれていたこと。

 

後からになって早期対応が

どれだけ・・・回復を早めるのか?・・

 

とても大切なことで・・・

状況も違ったと思う。

 

当然ですが我が家の場合は・・・・

悪化してから・・・・

 

「どうしようか」というような対策になってしまった。

 

うつ病って・・・・

例えば悪いのだけれども・・・・

何をやるにも無気力で・・・・・

動作も・・・・そんなイメージを当時持っていた私は・・・

母親の状況にびっくりした。

 

動かなくなったからだ。

食事も排泄も自分で運んだり動こうともしなくなった。

 

後から当時一緒に寄り添っていた父から聞かされた。

近くに電車が走っているのだけれども・・・

数回…そこに歩いて行ったという。

 

 

さて学校の体育で先生の説明を聞くときに座る△座りのようにだれともコミュニケーションを遮断して・・・・

ひとり自分の中に引きこもる状況になったとき・・・・

 

私の中ではある方法を考えていた笑。

 

というのは・・・・

当時発達障がいに関する某養育ブログラムの取組も勉強をさせてもらっていたこともあり・・・試すことにした。

 

 

 

簡単に言ったら

RDIの理論でいうところのダイナミック知性にアプローチするということ。

 

*ダイナミック知性

継続的な変化と同時に生起する(複数の)情報を迅速に処理する能力。

*スタティック知性

 決まりきった方法を学習すること。特定の課題に適用されるような特定のスキルを学ぶこと。

 

 

 

この方法は当時一部では知られてたRDIののRCRという取り組みで行う。

 

簡単な説明では説明することはムスかしいのだけれども・・・簡単に説明したら・・・・

親がガイド役になり導く側として本人が導かれる側となり

協働で経験を共有するcommunicationの中で再学習していく。。この時言語は活用しない。

 

さてこの協働作業は・・・・

今日もだけれどもとてもワタシタチの関係ではとても大切なことを担っている。

 

RDIの理論の中では・・・・

コミュニケーションには二つのあるとされている。

 

道具的コミュニケーション

経験の共有コミュニケーション。

 

 

🔳道具的コミュニケーションとは

特定の反応を得るように人に影響を与えたり

自分が望むものや情報を手に入れるようなこと。

 

相手を指示したり、命令してナニカヲさせるような行為。

 

 

🔳経験の共有コミュニケーションとは

感情的反応を共有する。

属性を比較したり、対比させたりする。

 

一緒になにかをしたり、一緒に思い出を語ったり、

誤解を修正したり感情的なつながりを確認したり協調を増強する。

 

 

ちなみに(笑)・・・・

道具的なかかわりは男性の方が多く

経験的なかかわりは女性の方の多いと言われている笑。

 

もしかしたら????

子どもを育てる時間の間

子どもと接する時間が多くあることによって

その関係が知らずに体験しているのかもしれないと私は

少しだけ考えたりもするけれども・・・・

実際はそうであるのかは分からない。

 

 

 

ただ多くの場合

介護や病気のサポート

親が老いたことによるサポートや

 

もしくは・・・子供が小さい場合なども

 

多くの関係性は・・・・

道具的コミュニケーションでなりたっていることが多い。

 

道具的なコミュニケーションは

楽だし・・便利であるし・・・

なんといってもそれを誘導する側があまり困らない笑。

 

 

私的には・介護や病気の本人をサポートするとき・・・・

経験の共有コミュニケーションはとてもとても大事だと考えている。

 

一番個人的で考えるのは・・・・
本人の意思を阻害されるし本人が自分で思ったことを語らなくなったりかんがえたりしなくなってしまい無気力になってしまうから。それと責任や選択を放棄してしまうからだ。
 
 
 
簡単にすれば・・・・
 
「一緒にやったね」
「一緒にできたね」
 
のような関係の中で・・・・・
決まりきった対策でその対策を使って取り組むということではなくって・・・・

一緒に考えて一緒に気持ちを共有して共に一緒に感じて

取組むようなことかな笑。

 

なので

できた。やったね

 

これを共有することもたいせつなのだけれども・・・・

その過程のっ取組の体験も大切なことのひとつではあるということ。

 

ココが結構大変だったりもするのだけれも笑。

 

 

さて

この方法は発達障がいの養育の取組の一部なのだけれども・・・これをそのまま導入するというよりも

臨機応変に

道具的なコミュニケーションもありながらも

メイン的な関係は経験共有コミュニケーションにしながらも

一緒に何かをする

その時一緒に考えたり・・・

相手の意見を拒否することなく聞いたり・・・・

発言を奪わないようにしたりと・・・・・

 

その場を与える家族や周りの人たちは・・・

完璧を目指すのではなく・・・・

そこそこのお互いが無理をしない程度の関係を維持しながら・・3ぶんの1の理論をように・・・・・

 

病人に治療に専念してもらいために

ほかのことを考えるなするなってちょっと無理がある場合がある。

この考え方(治療だけ専念しろそれ以外のことは考えるな)を完璧にやることは難しいのだからそれを求めすぎずに・・・ほどほどに治療関係に迷惑が掛からないような感じの姿勢がを求められるような状況位の感じの考え方を

すこし柔軟に入れておいた方が‥いい場合がありますよね。

 

 

簡単に言ったら・・・この解決方法はこれしかないって

かんがえてしまうと他の解決策や解消策が見えたくなる現象のようなもの。

 

 

ちょっと難しくなってしまいましたが・・・・

 

communication

その関係かかわりかたという

お互いが与えあっている関係・・・

 

これをどんな関係にしたいのか???

その状況によっても

病気と向き合っている本人の状況や状態にもよるかもしれませんが・・・あまり安易に決めつけることなく柔軟に・・・・

そして互いのとって・・・

もしくは本人にとってとして援助する側があまり負担をしいられすぎないように・・・お互いをお互いに信じ続けられるような関係をそこで大切にしながら体験していきたいですよね。

それがお互いの成長や育つ種になって・・・・成長していけるものにしたいですよね。