さて、今日は実家の先祖代々のお墓を改葬するに至った理由について書いてみようと思います。これは、檀家側からの言い分であり、お寺側には他の言い分があるのかもしれません。
立場が変われば、表現方法も変わります。コリンのブログなので、コリンの勝手に書かせてもらいますが、決してすべての寺院仏閣を否定しているわけではありません。悪しからず。
【檀家として】
コリンの実家は古い時代からありますが、自分が聞き知っているのは祖父母の頃の事だけです。祖父は、檀家総代でした。戦争で寺が焼けてしまった時、宮大工だった祖父が資材を寄付し建て直しました。またお寺の「天蓋」を寄付したことも聞いています。
【改葬の理由】その1
祖母の弟が戦死したとき、国からお金がもらえたそうです。哀れに思った祖母は、すべての戦死者の為に永代供養塔を寺の一画に建てました。石碑には「天皇皇后両陛下賜祭粢料」と脇に彫られています。
当時の住職が父に言ったそうです。
「供養塔の場所を売りたいから、どかしてくれ。」
こんなストレートな表現ではなかったと思いますが、言わんとすることはそういう事でした。そもそも永代供養としてお金も納めてあるし、戦死者を供養するためのものを邪魔にするとは、どういう事だという怒りが父にあがりました。
【改葬の理由】その2
上記の話の後、しばらくして祖母が亡くなりました。
祖父が亡くなった当時、戒名料として100万円を納めたそうです。祖母が亡くなった時、同じ金額を納めたそうです。そこで、住職がとった行動が父には許しがたいもので、改葬を決定的にするものでした。
普通、夫婦は亡くなった後に同じ位の戒名をつけるみたいです。祖母自身も祖父以上にお寺に様々な貢献をしてきました。ところが、住職は100万円では同じ位の戒名はつけられないと言ってきたそうです。この時点で、父はもう寺を見切っていたように思われます。怒ったのは親族一同。住職に掛け合って、150万円を支払って同じ位にしてもらったようです。
当時はやはり仏教の教えが根底にあるので、亡くなった夫婦の戒名の位に違いがあるのが許せなかったみたいです。また、今なら檀家の間で問題にして、本山に訴え住職を変えるという手段もあるでしょうが、当時はまだ住職が偉く、表立って非難をする人はいなかったようです。
祖母が亡くなった後、戦死者の供養塔は、自宅の庭に移しました。本来、このような供養塔は個人宅にあるものではなく、寺院で守っていくものらしいけど祖母が亡くなった後に、また住職から移動してくれと言われたそうです。
他にも小さい不満はたくさんあるようですが、以上の経緯から、父と母は自分たちが亡くなった後は、今のお寺には入らず改葬すると決めていたそうです。また葬式も仏教に捉われず、戒名もいらないという考えが固まったようです。
先祖代々続く家なので、長男である父の代までは、何とか我慢しようと思っていたようですが、思っていた未来と違い母が先に亡くなることになったので、父の責任において生きているうちに改葬をして、しっかりケジメをつけたようです。父がそうしてくれたことにより、私たち子供たちはこの先、古い習慣やしきたりに悩まされることなく過ごすことができるようになります。
コリンは古い習慣やしきたりが悪いと言っているわけではありません。むしろ、そういうものは伝統となって大切に守っていくものだと思います。ただ、残念なことに当時の住職は「仏教を本当に学んだのだろうか・・・」という疑問をもつような方だったという事です。
以上
コリンは特別な宗教を持っていませんが、この先も母を供養をし、夫のお墓を守り、ご先祖様を大切にしていきます。