「幸せ」の考え方 | コリンのブログ

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「膵腺房細胞癌」でこのブログにたどりついた方がいましたら、2014年5月20日以降の「お母さん」というテーマで書いてます。


「幸せは誰かと比べるものではない。自分の心が決めるもの。」

その通りだと思う。ただ、どうもしっくりこない。
どこが納得いかないのか、文章にするのは難しいが、忘れないうちに考えの1つを残しておこうと思う。

「幸せは誰かと比べるものではない。」
問題は、最初のこの部分である。
なぜなら自分が「幸せ」を、誰かと或いは何かと比べてしまうから。

「衣」 衣服に困らない→衣服が手に入らない人もいる。
「食」 食べるものに困らない→食べられない人もいる。
「住」 住む場所に困らない→住む場所がない人もいる。

今の衣食住を当たり前だと思ったら、幸せかそうでないかは感じない。でも、当たり前ではないと思ったら、衣食住が充実している事が幸せだと思う。

ほらね?少なからず最初の「幸せと感じるか、感じないか」という次元では、無意識で誰かと或いは何かと比べて、今の自分がどうなのかという判断をしていると思う。

それから」なのだと思う。
まずは幸せか、そうでないかを自分の心が判断して、それから幸せと判断した場合には、その幸せの度合いがどれくらいなのかを「自分の心」が決めている。幸せが1割なのか、3割なのか、半分なのか、8割なのか、10割全部なのか。その割合は、自分の心が感じたままに決めている。比べる対象がなければ、今がどうなのか判断するのは難しいと思う。

「誰かと或いは何かと比べてはいけいない」というのは、幸せの度合いであって、その前段階にある幸せかどうかとという部分では、比較するものがなければ感じもしないものだと思う。

つまり、言いたいことは、「幸せは誰かと比べるものではなく、自分の心がきめるもの」という一文にしてしまうと、自分は同意できないということ。

①幸せかどうかは、誰かと或いは何かと比較して、判断する。
②その判断をしてから、幸せの割合を自分の心が決めるもの。

こうすれば、納得がいく。これが今の自分自身の考えである。