世の人のためとはどんなこと | イラストとマンガ ときどき哲学

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こんばんは!

 

本日お盆休み最終日です!明日からまた忙しい毎日が始まると考えると,楽しみと思えば,

楽しみに考えられてきます(笑)グラサン

 

本日は,「世の人のため」について今考えていることを書き連ねていこうと思います!

 

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「世の人のため」

よく聞く言葉ではあるものの,よくよく具体的に考えると抽象的な側面が多いように思います.

 

世の人を対象としているものの,具体的にどのような人を絞って対象とするのか,はたまたすべての人を対象とするのか.

 

人の失敗を笑う人や,いじわるをする人,そういった人のために生きようとは思えないです.

しかし,構造的にとらえると,現代の世の中の仕組みがそういった人を生み出しているとしたら,

その仕組みをただせば,その人たちは優しく生きれるのかもしれない.

 

 

さらには,どうすれば,その人たちのためになるのか.

物質的な援助かそれとも精神的な貢献か.

 

アフリカなどの国ではいまだに貧困による餓死があります.

だれもが幸せに生きる権利を有している中で,生まれた環境条件によって,その権利を行使できないのはおかしい.

 

一方で,日本では,ほとんどの人がものに恵まれています.

生活保護制度もあり,食べ物に困る心配はありません.

しかし,日本の幸福度は低く,物の豊かさが幸福度とどこまでも相関はないのです.

 

そうすると,物質的に一定の水準に満たされていない人たちを対象とした際には,物質的な援助および自ら食糧等を生み出す手段をもたらすことができれば,世の人のためになっているといえ,物質的に一定の水準に満たされている人たちを対象とした際には,精神的な豊かさをもたらすことができれば世の人のためになっているといえるのではと思います.

 

 

人が幸せに,絶対積極の気持ちで生きることで,世の中は調和し,素晴らしい世の中になると思います.

そのためにも,今の日本は心の中に木枯らしが吹いている人が多いように思います.

義理人情がなく,責任を個人で持ちたくなく,周りと同じ行動をしています.その中からはみ出た人は異端視する風潮も中にはあります.

そして,生きていることへの情熱も少し薄れてきているのかもしれないです.

 

そんな人が多くなっている構造的な要因が日本にはあるのかもしれないです.

私が世の人のため生きるとして,先ずは,現代日本で生きづらさを感じている方々が少しでも肩の荷を軽くでき,苦をもなお楽しみとなすの心意気になり颯爽と人生に迎えるような手助けをできればと思います.

 

取り急ぎ,自分が仕事をしていて,悩み倒れるわけにはいかない.というよりも,精神的に躓くわけにはいかない.

というこだわりををもたずにも,自分らしくいけば,必ず良い方向で仕事をできると確信しています.

明日から頑張るぞ!

 

読んでくれた人も頑張りましょう!ただ,頑張りは人ぞれぞれです.つらく感じる人は,いったん休んでください.ニコニコ

 

それでは!