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ごっちゃんのブログ

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・2015年

2015年に入ってからのことは、このブログで触れてきたことだし特筆することはない。

1月から始まった答練のスケジュールは結構タイトできつかった。

計算では企業結合が特に他の受験生に遅れをとっていた。難しいからみんなできないだろうと思っていた答練でもみんな計算の出来は良かった。計算で分からない所があっても解説では全くそういう部分に触れてくれないので困った。解説というよりは講評に近いTACのスタイルは問題だと思う。

1日の時間の使い方についても以前書いたし、5月の自習集中期にやる気喪失状態に陥り租税に絞って勉強し難を逃れたことも書いた。せっかく5月に、答練で忙しかった時期に求めてやまなかった集中して自習できるまとまった時間を得たのに、いざ5月に入るとやる気が出なくなるというのは苦しかった。

全答は1回目、2回目ともD判定だった。実力通りの結果だったと思う。


本試験を振り返ってみる。

1日目

監査:事前に気を付けていたのは、問いにオウム返しで答えること。内部統制の限界は何か、と訊かれたら、内部統制の限界は~で書き始める。これは松本の即効速攻の受け売りである。あの講義、5万円は高いが友人と割って2.5万円分の価値はあると思うので是非。

そっちに意識が行き過ぎていたのか、いきなり解答用紙を取り違えて書いてしまいタイムロス。その他TAC答練と大原答練で見た論点を書き殴っておいた。私の監査勉強法はアウトプット暗記と結論の背景と改正の暗記。結論の背景は2011年に痛い目を見たのできちんと暗記しておいた。

科目レベル。

租税:消費→法人→理論→所得の順に解いた。消費が運良く結構出来て、理論は半分くらいと実力どおり。この科目が得意な友人は本番でも点が跳ねていたので実力を反映する科目と言える。私は苦手で何からインプットすべきか分からなかったが、そこでも指針となったのが松本の即効速攻。

52は超える。

2日目

管理:もうよく覚えてないが、目立ったミスとしてはキャッシュサイクルのところで用語を買掛金などにしてしまったことや同じく債務の回転期間をミスってそのままキャッシュサイクルの最終数値をミスってしまったこと。

52を切る。

財務:理論→計算の順で解く。いつも典型なはずの第三問の理論が難しくて焦る。第四問は手応えはあったが出来は並みだった。TAC吉野を受けた友人が第四問で跳ねていたので講義で何かを会得したのだろう。

52は超える。


3日目

企業:事後設立は法律上認められていないので財産引受で処理すると書いてしまった。これが発表まで悩みの種だった。第二問は大原が当てたと言っても、TACの答練で訴え関連の答案の練習を積んでいたので自信を持って書けた。

52を超える。

経営:クイズで爆発し、ファイナンスも標準偏差を間違えたりしたものの全体的にレベルアップに成功していたためか2項モデルなどで取り返し点が跳ねた。

理論はテキストを何度も読む。退屈で辛い作業だがやるしかない。

科目レベル。


手応えと出来は監査以外はだいたい相関していた。


最後に、もし受験が長期化していて苦しいという方で偶然にもこのページを閲覧してくれた方がいたならば、私にコメントでもメッセージでもしてもらえればと思う。そういう人の力になりたい。

私も昔合格者に勉強法について質問したことがあるし、私くらい受験歴が長いと反面教師的アドバイスが出来ると思うから。











・2013年

2012年の社会人経験を経て、再び戦線に復帰。やはり、この試験に受からずして私の人生は完結しないという思い。

合格していった、又は一流企業勤めの友人たちへの劣等感。

会計事務所で味わった、簿記2級取得者と同じ扱いという屈辱。惜しかったでなく結果が全てだった。

次に勤めた会社に来ていた会計士の輝いた姿。

これらが私を再挑戦に駆り立てていた。


この試験の良いところは、何回でも受けさせてくれること。

例えばこれが意中の女性だとしてみる。1回、好きですとか、付き合って下さいって言って断られたら普通はもう駄目。次の人に行くしかない。

そりゃ諦めずにアプローチし続ける手もあるけど、嫌がられているのが分かったらこっちも冷めるし、そういうのはシツコイと昨今、犯罪認定されちゃう。その点、試験は向こうがこっちを嫌うってことはない。出直してきな!って言われることはあるけどそれはこちらの技量不足だったとハッキリしているから再挑戦しようという気持ちが湧いてくる。私にとって試験はそんな何回でもアプローチ可の魅力的な女性のような存在だった。

そういう訳で2013年5月が再挑戦一発目だった。それに対して打った手立てはLECの短答パック。

再挑戦は自費で行くと決めたので金がない。そんな時LECの当該講座はタイムセールで安かったし、まず論文科目は放っておいて短答だけやり直したいという自分にピッタリだった。

松本講師は素晴らしい授業を提供してくれた。それはまたあとで触れる。

寂しかったのは短ポ答練。受講生まさかの私一人。運営の人の始めの合図のあと、私のシャーペンの音だけが教室に静かに鳴り響いていた。あれは寂しかった。

結果、ブランクを埋められず5月は撃沈。まぁいい、本番は12月だ。12月にピークを持っていき、その勢いで2014年の論文いただきだぜ!と思っていた。

しかし、当時ブログに書いたように、願書出し忘れにより12月受験不可。馬鹿ですねー

必死に願書書かなきゃいけない日に、必死に計算問題解いていたよ。

スタペで日程をチェックしてたら、受験生の減少とともにスタペの更新も滞りがちになっていたことに気付かなかった。

そんなこんなで不安な船出の年となった。


・2014年

2月ごろにすかさず願書提出。インプットは2013の物を使い回し、答練は寂しいので大原に変更。

大原ではそこそこ人がいて、やる気が出たが答練は毎回5割行くか行かないか。

解いた直後は出来た気がしても採点すると×ばかりでやる気は急降下。

平均点も低いしまぁいいやということにして本番に突入しなぜか監査と管理が爆発して合格。

私の合格の影響で、2012年に撤退していた友人Kが試験に戻ってきた。

彼はその後、2014年12月短答に受かり、2015年共に論文を突破することになる数奇な友人だ。

さて、5月に受かったものの、この先が厄介だということは経験上よく分かっていた。

が5→8は私には無理な注文だった。租税と経営が手付かずであったしラストスパートの時期に減薬に

失敗し頭が使い物にならなくなっていた。あれは思い出したくない苦しい体験だった。

とはいえ今でも向精神薬の服用を止めたいという気持ちに変わりはない。今はその時期を待っている所だ。

論文は受け終わった瞬間にダメだと分かったので9月からすぐ次の論文の準備に取り掛かった。

計算特訓をして、論文のインプットを経営以外年内に済ませてから、年明けの答練に向かおうと計画した。答練を準備万端で受けて、答練→復習→答練の好循環を作りたかったからだ。

でも実際には監査のインプットなどは答練と並行してやったほうが良かったように今では思う。

年越し前に受けた授業内容は、年が明けて答練が始まる頃には忘れてしまっていたからだ。

年内にやったことはLECの計算問題集の回転と以下(経営は年明けから)

・財務…LEC渡辺(友人の飛躍的成長からしてTAC吉野の方が良いかもしれない)

・管理…LEC池辺(量が多く途中で諦め、TACの薄い問題集の暗記に変更)

・企業…大原長谷川(復帰してくれて感謝)

・監査…TAC中里(面白いけど頭に特に残るものは無かった。松本が論文もやってくれていれば)

・租税…TAC木戸(理論の事例が多く良かったと思う)

・経営…TAC藤沢(非常に良かった。重たいがファイナンスは費用対効果が高い)


地元の自習室を借り延々とDVDを消化する日々。孤独だったが、税法ばかりの税理士試験や法律ばかりの弁護士試験と違い、バラエティに富んだ会計士試験が私は好きだったので続けられたと思っている。

こうして2014年は幕を閉じ、2015年が始まった。


サバイバル・byさいとう たかを をご存じだろうか。

天変地異によって文明社会が破壊された地球で、独り逞しく生き抜いていく少年の物語である。

私は、その主人公サトルの生き様に強い感銘を受けた。

ところで、さいとう たかを氏はかの有名なゴルゴ13の作者だそうだ。そっちは全然読む気がしないが。

話を戻してそのサトルの印象的な点は2つ、自分で考える所と感情表現が豊かな所だ。

彼は苦境に立つ度に自分に言い聞かせるように考えろ、考えろと呟く。

そして自分なりの答えを導き出して困難を乗り越えていく。

頼る人間がいないこと、文明の崩壊した状況で絶対的な答えなどないことを踏まえれば自然と考える力が身に付くとも考えられるが、やはり自分で考える力とは大事なものだと思うし今後自分が磨いていくべきものだと思う。

もうひとつの感情表現もサトルは真っ直ぐで素晴らしいと感じる。

猟銃男にメシを作れと命令されれば、自分のメシは自分で作れと反論するし、それで殴られればちゃんと不満を露わにする。理不尽だと自分が感じたならば礼儀や上下関係など構わず感情表現をすべきだ。

感情を理性で押さえつけるばかりが大人の立ち振る舞いだとは思わない。現代社会は奴隷制度を布いていないのだから。すくなくとも日本では。

もうひとつ、希望をなくした老人が諦めの言葉を口にすると、サトルは僕はそんな風には考えない!と自分の考えを大声で返す。この時のサトルの表情が重要だ。目を瞑って自分に言い聞かせるように言っている。これは相手に反論して傷つけてしまうかもしれないが、自分の意見を曲げることはできないという葛藤と信念の表れだと思う。ここで相手を論破しようとしてしまうと他人中心思考だが、単に自分の意見を口にすることは自分中心思考の模範例だと言える。相手の意見を変えようとまでは思わないが、とにかく自分はこう思う、と心の中で常に思っておく習慣をつけるといいように思う。


また、物語の中でサトルは、既に文明社会は崩壊し、電気ガスはおろか全てのインフラがストップした原始時代のような生活を余儀なくされている。そんな中で札束や宝石をかき集め大金持ちだと喜ぶ猟銃男を見て、サトルは何の意味があるのだろうと訝る。サトルにとって札束など食材を加熱するための調度良い燃料に過ぎないのだ。その場面を見て、私はそのような状況で会計士が果たすべき役割を考えてみた。が、ない。残念ながらそんなものは全くない。会計士は企業の存在が前提となるし、貨幣経済が前提となるが、この物語ではその貨幣は紙くずなのだから、当たり前の話だ。

これは会計士に限ったことではなく弁護士も同じことで、法律のなくなった世界で異議あり!とか言ってもぶん殴られて終わりだ。農家でさえ役割低下は否めないのではないか。なぜなら電力がストップしていて、現代農業は農業機械に依存するところが大きいと思うからだ。とはいえ、農家や漁師は一定の役割を果たせるだろう。その点、医者の役割が依然として大きいことに注目したい。インフラがあろうとなかろうと、人間を治療するという行為には掛け値なしの価値がある。

社会的地位が高いと呼ばれる職業でも、文明社会が崩壊すればすぐにその価値が失われてしまうことを思えば、そこに胡坐をかいて偉そうに威張っていることがいかに滑稽なことか分かる。








・2010年

短免ということで、どこか誇らしい気持ちで大原の論文専用コースに申し込んだ。

論文のみとなると各科目の講義の回数も少ないし、これを確実に消化し答練を受け続ければ

合格できるだろうと思っていたし、今までと違い論文だけを見すえた勉強という点でも気持ちがフレッシュになりモチベーションが上がっていたと記憶している。

しかし、結論から言えばこの年も48.95で落ちてしまった。

原因は、もちろん私の自習時間の足りなさもあるが、その自習の指針となるべき大原の論文講義にもその一端があると言いたい。

まず財務。野田だか野沢だとかいう講師がテキスト棒読みで噛み砕いてくれなかった。

管理。講師に問題はなかったが、理論が手薄過ぎる。理論総まとめ講義1回で済ますのは無理があった。

監査。悪評高き福島。しかし監査の論文講師で良い人に会ったことがないのでなんともいえない。

企業。臨時の無名講師。これが長谷川だったらなぁ。

租税。管理と同じ。講師に問題はなかったが、理論総まとめだけでは理論はできるようにならなかった。

経営。例えばCMLからSMLへの話の繋げかたが下手で、え?なんでいきなりそうなるの?と戸惑った。


というわけで、各科目とも理解度は前年より上がることはなく、それによって答練の効果もイマイチで

全てが不完全燃焼(特に論文科目の租税・経営)のまま本番を迎えてしまった。

唯一の収穫は企業法の科目合格を取ったこと。なぜあの理解度と答練の回転不足で、と首を捻った。

やはりこの試験は不条理だなぁと思った。


・2011年

気付けばラストチャンスの年となり、追いつめられた私はとにかく講義を厳選しようと思った。

金がかかってもいいから一括でなく各予備校から良いとこ取りをしようと考えた。

財務。LEC、論文試験分析講座で第3問は典型、第4問が理解度、第5問が実務という視点を教えられそんなこと一言も言ってくれなかった大原を恨み、大原は暗記だけでダメだと思いLECにした。

管理。LEC、噂の池辺に手を出してみた。

監査。LEC、大原以外ならどこでもいいと思っていたので

租税。もう一度講義を聴く必要性はないと思ったのでヤフオクで榎本の一問一答講義を落とし、大原の答練を受けた。

経営。LEC、岡田というドエライ講師にぶち当たってしまい大塚に変更。岡田は凄すぎた。ファイナンスが苦手な私は、猿が微分を習っている気分だった。


企業免除というのは、短免よりさらに誇らしい気持ちになれた。模試のときなどは特に。意味ないけど。

しかしその科目の時間を他科目に充てられるということはアドバンテージが大きい。

そしてLEC財務には感謝している。理解するという視点を初めて植えつけてもらった講義であったしレジュメも見易かった。

しかし、この年もダメだった。私は過去最高の偏差値を出したが、ライバルのレベルも過去最高であり、合格のハードルも52.5と過去最高だった。一番難関の年に自分のピークを持ってきてしまったのだ。

おそらく私個人の出来は2011と2015でそんなに変わらないと思う。

外部要因が緩まったおかげで今年は受かり易かったのだろう。

もちろん自分の日頃の努力の成果を本番で発揮できたという自負はある。

外部要因の変動が激しいから、3回のチャンス全てで自分のベストを出すことが重要だと思う。

そうすると5月組はどうしてもキツイ。実質チャンスは2回だからね。私も2014は散々だったし。

短答を12月にクリアしてこそ3回のチャンスが生かせると思う。


こうして私は三振し路頭に迷った。まさか自分が三振するなんて。もう一回短答からなんて気持ちは

その時は全く起きなかった。それはもう受験生活に疲れていたこともあるし、その年の短答の合格率が

3%という信じられない数値で、そんなものまた短答からやり直して受かりっこないと思ったからだ。

もう就職しかなかった。働きたいと思ったわけではない。もういい歳だし、世間体的に働かなきゃマズイという気持ちで職を探し始めた。そこにあったのは自分中心観ではなく他人中心観だったし、wantでなくshould,mustだった。

そして2011年冬、このブログが始まったのである。


















・2008年

過去2年間の失敗を経て、私は基礎力養成の必要性を強く感じていた。

このまま上級コースなんて受けても同じことの繰返しだと。

かといって入門生からやり直すのはあまりに非効率だ。

そんな時に目に飛び込んできたのが大原の構造論点特訓・個別論点特訓だ。

今は短答の奥義だとか極意だとかに改名され胡散臭さが漂っており残念である。

これは一度勉強した基礎部分を一から強弱をつけて再び授業してくれるというものでまさに私にうってつけだった。ちなみにTACのReviewという似たような講座があるがあれは弱点補強の意味合いが強く、全部が弱点だった私には不向きだった。

実は2007年にも大原の受講は検討していたが見送っていた。その理由はCMや雰囲気が宗教くさいという先入観だった。入ってみればいたって普通の予備校であり、学校法人がもつ専門課程という子供っぽさは私の入った社会人コースとは無縁のものだった。入学初日に話した深谷先生も、第一印象はヤバいという感じだったが、その後企業法に大変造詣が深い方だと分かり人を見た目で判断してはいけないと思った。

この学校で簿記の短答論点や連結、管理の個別、総合、標準といった論点を一から効率的に復習し直すことができ、私はようやく受験という戦いに参加できるようになった。

企業法の長谷川先生との出会いも大きかった。それまで企業法は授業を聴いても訳が分からなかったのが色々と好転した。TACの阿部と小飯塚は私にとって万死に値する存在だったことがそこで分かった。

この年の短答も残念な結果に終わったが、それは惜しいと呼べるものだった。


・2009年

何が足りないのだろうか。

私は池田先生と言う強面の割に目の澄んだ講師に今後の方針を相談していた。

そこでは合格者は総じて計算力が高いという話がでた。そして先生は私に一時間の計算問題を一日5問解くようアドバイスしてくれた。

私は一日5問は無理ですよ、と答えた。「でもそれじゃ合格できないよ」と先生は言った。

これがガーンと私の胸に響いた。

今まで無意識に自分に限界を設けていた私の壁を先生が厳しい言葉で打ち破ってくれたのだ。

そこから私は去年一年分の一時間の計算問題(ステップ)を一日5問解くことにした。

2009年のカリキュラムが始まるまでにステップを回転させて100回解くことにし、8割取れた問題は回転から除くことにした。

始めは10時間以上かかっていたと思う。まず解くのが1時間以上かかるし、分からない箇所をテキストに戻ったりして復習にも手間取った。

何事にも言えることだが、悪循環を好循環に変えるきっかけとして、今回のようにとにかく量で制圧してしまおうという一種のショック療法は有効な手段だと思う。

2週間ほど経つと5問解き終わってもまだ夕方でかかる時間が大幅に短くなるようになってきた。

この時のことを思い出すと決まって紐付きで思い出すのがハンターハンターのネテロ会長。





まぁ、私は一万回も突いてないが、反復に反復を続けているといつしか解く時間が短くなり、間違える箇所も少なくなり、復習にも時間がかからなくなるという好循環に持ち込むことが出来る。

5問というノルマを終えるのが早まれば遊べる時間も増えるし、そもそも解けることが楽しくなってくる。

また8割取れた問題はその場でビリビリに破って捨てるのが快感でもあった(ただしこれは試験直前に見直すことが出来ず後悔した覚えがある)

こうして連結の問題には瞬時にタイムテーブルを作るなどの反射が出来るようになった私は、計算力の無さを克服し、理論も肢別チェックを反復するという退屈作業で精度を上げ、この年の5月、初めて短答を突破することが出来た。

もうこの時点で私は半分会計士になった気分でいた。論文式って3回も受けられるんでしょ?しかも短答免除で。もうこんなのもらったも同然やん!そう、まだまだ私は甘かったのだ。

この年の論文は経営で足を切るなど散々な結果だったが、そんなものどこ吹く風、私の前途は明るい、そう思っていた。