2023年2月、大冒険の振り返りはここから始まった。

書き始めにはゆめゆめ思わなかったが、まさか一年以上も続けていたとは。
その間に父があの世へ行ったり、なかなか激しい人生のターニングポイントにもなってしまった。

一応、このカテゴリーのリンクも貼っておきましょう。


それではTOKYO2020 オリ&パラの総括をいたします。

ざっくりとした感想は、現場は楽しく感動もしたが、そもそも金を掛け過ぎ、私腹を肥やす輩多過ぎ、東京開催も反対。
メイン会場は、震災からここまで復興したよアピールで、仙台あたりがよかったのではなかろうか。
んで、ロードレースのゴールはスポーツランドSUGOでよろしいかと。

けれども都知事の緑のおばさんが、2022年ツアーオブジャパンの最終日、東京ステージにてTOKYO2020のレガシーとか言ってレインボーブリッジを自転車で渡るイベントの発表をしたときは胸が高鳴ったことを覚えている。

 

 


それでは封印を解いて行こう。

ことの始まり

ボランティアに応募したのは2019年だったと思われ、フィールドキャスト(競技関連、主に会場でのボランティア)とシティーキャスト(会場外の案内などのボランティア)、どちらも採用となっていたものの、馬鹿げた茶番パンデミックのおかげでほとんどの競技は無観客。
そんなんじゃシティーキャストやっても仕方がない、ユニフォームをもらってから断ろうかとも考えたが、わざわざ配布会場へ行くのも外出が憚られる空気感で面倒臭い思いが強くなり、断りのメールでそちらは辞退したのは2021年のこと。

オリ&パラ開催がコロナ騒動で一年延期の憂き目に遭遇し、結果、足掛け三年の長い旅になってしまった。

2020年3月、予定されていた聖火リレーが直前になって中止、そして一年後にリレー再開。
栃木県内で行われる聖火リレーの撮影を依頼されていたわたくしも、何かと翻弄されてしまったのです。
聖火リレーの現場も、経験者が皆無なわけだからあちこちで混乱もあった模様(個人的には警察の言葉を無視して動いたり)。

2020年、幻の聖火リレー。


2021年、実行。

この作り替えにも余計な出費が発生しているのよな。

世の中、コロナですっかり狂ってしまったが、今思えば全てが茶番、どこかの誰かが金儲けをするために世界中が嵌められたわけだが、それに気づいていないのは日本だけ、経済も何もかも、日本は近い将来に崩壊するんだろうな。

封印を解き放つ

世の中に晒していない写真を貼り付けて行こう

オリンピック

男子ロードレース日本代表の二人、新城幸也と増田成幸。


場所の制約が大きくて良い写真を撮れていない。

女子ロードレース日本代表の与那嶺さん。


同じく金子さん。


優勝報告するキーゼンホファーさん。

パラリンピック

チームごとのサポートカーも必要なくなり、それらがパドックに並べられていた。

これらの車両、後に中古車として販売されることに。

寝そべり型のハンドサイクル。


選手と一緒に周回しているバイクの皆さん。


ニュートラルサービス。


中継バイク。


前傾型のハンドサイクル。


とある大臣の写真もあるが、これの封印は解かずにおこう。

土砂降りのロードレース。

 

がんばれ日本!

四番目、藤田征樹選手。

トライシクルには日本人参加者なし。

シャッター速度を遅くし過ぎてブレちまった。

救急車はバッチリ決めたぜ。


低いと飛沫の被り方がひどそう。


ハンドサイクル、だいたい電動メカだったように見えたが、ブレーキは前ホイールにキャリパー二つ付いているのが常らしい。

プレスルームの写真、晒すのまずいかな?
いいや、晒してしまえ。

閑散としておるな。

ネットワーク、苦労してんな。

ネットワークも電力供給も、お布施を納めている企業が受け持つから大会期間中だけのインスタント仕様でこのルックスよ。

UCI(国際自転車競技連盟、で合っているか?)のルールで、二輪のロードレースバイクは前後のブレーキが効く状態でないといけないそうで、片手の場合、ブレーキラインの途中で分岐があり前後同時に制動力が発生する。

ブレーキレバーを握る能力なない場合、フレームにブレーキレバーを装着し、膝の内側で押し込むそうだ。

安定の杉浦さんです。



コミッセールはレクサスに乗車。


雨のロードコースはオイルが浮いて滑りやすいと、とあるプロロードレーサーが言っていた。

しかもレコードラインはアスファルトの表面が潰れていて、なおさらグリップ力が弱いとか。

フィードゾーン。


多くの選手を飲み込んだ恐怖のピットロード。
ペイントの上に水膜ができて面白いように滑る。

彼のサイクルパンツがどこで破けたのかは不明。

さて、写真はこんなもんかな。
最後の思い出は、陽キャ大学生がお世話になったスタッフ三名にメッセージカードを送ろうと言い出し、うん、なんかめんどくせえ。
でもそこに乗らないのも変だし、まあ付き合う。
メッセージに貼り付ける写真のプリントを大学生がコンビニで出力してきたが、一人語りのジジイよ、きっちり割り勘じゃなくて少し余計に出してやれよ、と、割り勘分しか出さなかったおっさん旅人は死んだ魚の目で眺めていた。

 フィールドキャスト最後のお勤めが完了し、前日から準備していたメッセージカード、それを三名のスタッフへ渡すサプライズが始まった。
TOKYO2020開催決定から、一般企業や地方自治体から派遣され、コロナで一年延期されつつもここまで辿り着いた万感が込み上げ涙を流す三名のスタッフ。
それぞれにコメントを求め数分の言葉が終わると、その場にいた他のスタッフからも拍手が湧き上がった。

そして「オレの旅もこれで終わるんだな」と少し感傷的になっていたのはここだけの話。

ステイを一日伸ばし、山梨県の探検ができたのも良き思ひ出。
その影響があったかどうか定かではないが、翌年から山梨方面の仕事を受けるようになったことはいつかここに書くこともあると思われる。


おまけ画像
無料ベンダーでもらったスポーツドリンク、写真は当時のものだが未だ未開封で冷蔵庫に入っている、そして飲む勇気はない。


以上で真夏の大冒険終了!