細部を全部は語れないけど、自分の中で暗黒時代だと思っている時期があります。
全力で命を捧げて来たバンドを「不本意」とかいう言葉では片付けられない案件で潰し、僕は抜け殻のような状態だった。
当時の僕が音楽を失えば、何も残らない。
むしろその音楽も対して技術は無いし、当時のバンドは棚ぼたのような形で盛り上がっていただけに過ぎない。
その時の自分は人生に失望し、未来を探そうともせず、ただ時間が過ぎて行くだけの毎日を過ごしていた。
楽しかった日々を忘れられず、忘れる気もない。
過去にしがみつくだけの何も持たない自分がそこにはいた。
勿論、そのような自分を受け入れられる人は誰一人としていない。
起こる出来事全てが、自分にとっては逆境だった。
色々考えた末に、全然その意思は無かったが僕は就職した。
はっきり言って、「自分の為」だなんて全く思わなかった。
ただ周囲を安心させ、世間体を保つ為だった。
蓋を開ければ、ただ何かに従うだけの毎日。
就職した事も本意では無かったし、仕事も上手くいかず楽しみも見出せない。
ましてやその会社はモロなブラック企業だった。
バンドは潰れたけど、ドラマーは自分の界隈では不足していたし、呼ばれる機会はわりとある。だからドラムを出来る機会はあって「それが出来る事は幸せ」だと当時は無理矢理思い込んでいた。
ただ、当時にこれを言っちゃダメだと思って蓋をしていたけど、一時の音楽が出来たところで僕に残るものは何も無かった。
それよりも、不完全燃焼で終わってしまった過去を思い出し、理想と現実のギャップが自分を苦しめて行くだけ。バンドが無ければ僕には何も残っていなかった。
今はその仕事も辞めて違う仕事だけど、入社して半年後には「辞めたい」とも何度も思ったし、逃げ出したかった。
そう悩む自分に囁く言葉があった。
「3年はやらないと分からない」
「辞めてそれからどうするんだ」
「我慢して働くしか無いよ」
今でこそそれは洗脳の言葉だって気付けるけど、バンドをやってた時期はフリーターで、25歳にもなってサラリーマン1年目だった僕は割と真剣にその言葉を信じていた。
それに、またバンドを辞めた時のあの状態に自分を戻すのかという気持ちもある。周囲の目ばかり気にしていたのも間違いない。
もはや八方塞がりだった。当時の業績ではあり得ないと思うが、100歩譲って出世してたとしても幸せは無かっただろう。
ただ、そんな事を一瞬だけかも知れないけど忘れさせてくれて、唯一「逃げ場」のような場所が僕には残っていた。
それが「釣り」だった。
当時、バンドもやっていたしあまり釣りに意識は向かず、1年に5度も行けばよく行った方だった。
その1年に何度かわからない、時々しか行かない釣りは結構な楽しみだった。
今みたいに釣り友もいないので、地元で釣りを辞めてなかった友達と行ってました。釣りでしか合わない旧友との集まりや、音楽しかやっていなかったら観る事も無いであろう自然に囲まれて、非日常を味わえるあの時間が今も好きだし、当時も好きだった。地元ならともかく他府県に釣りに行く時は必ず友達と一緒に行っていた。
就職して半年後ぐらいだっただろうか。
初めて、1人で車を運転して他府県に釣りに行った。ただそれは何も最初から1人で行こうとした訳では無く、人は誘ったが誰も空いていなかっただけの事だった。
その日は、何も釣れなかった。
でも、驚く程に楽しい時間だったし「今日が終わって欲しくない」って本気で思っていた。
それからも隙があれば釣りに行った。
初めて自走で行った琵琶湖では運転中に絶景を観て1人で叫んだ。
その琵琶湖でつい何年か前に世界記録のバスが出ていた事も知らず、僕は小さいバスを沢山釣って遊んでただけだったけど、それが僕にとって最高な時間だった。
その時の釣りが、つまらない現実から逃げられる唯一の時間。
一人きりで自分だけの景色を楽しむのが本当に楽しい時間だった。
それ故に、1日が終わって帰って来た時の絶望感も凄かったが、自分はやっぱり「釣りが好き」な事を再確認出来た時間だった。
確かにずっとバンドの事ばかり考えていたし、釣りは辞めていたに近かった。
当時のバンドは「暇があったら練習しろ」って雰囲気もありました。
僕もそう考えていたし、それが嫌になった事もあまり無い。
でも本当はもっと釣りがしたかったんじゃないか?
時が経って当時を振り返ると、時々そんな事を思う事もあった。
ドラムなんて出来なかった少年時代、僕が唯一楽しいと思っていた事、それも釣り。
あの暗黒時代に数少ない「良かった」と思ってる事の一つ。
それは「やっぱり俺は釣りが好きだ」って気付けた事。
それが僕が釣りを復活させた背景。今から6,7年程前の事です。
ところが、昨今その釣りが危なくなっている。
ゴミ問題、迷惑駐車、住民の方とのトラブル等、地域に迷惑をかける行為が横行している現状。
SNSを開けば「○○が釣り禁止になった」って文面を見る事も特に珍しくない。
自分の知ってる人は啓蒙活動や、SNSにゴミ拾いをアップされる素敵な方も多いけど、やっぱり知らないところでイケてない事をする人はまだまだいる。
全然昔は「釣り人がもたらす害」に気付いていなかったし、自分には関係ない話だと思っていました。
むしろ「何で禁止やねん」「釣りぐらいいいやん」って思ってた。
自分はゴミも捨てなかったけど、知らない間に何かを残した事は絶対にあると思います。
釣り人のイメージダウンに繋がるような事をしたであろう心当たりもない訳じゃない。
今や釣りをするにあたり、避けて通れない話。
この先の人生、気軽に「釣りに行こう」って言えなくなるかも知れない。
今がそんな現状である事を今更真剣に考え始めた。
釣りという遊びが無かったら僕は死んでたも同然の人間である。
そういう意味で自分は「釣りの未来のために何かする」事が必要だと思っています。
今、どのような形で貢献出来るのか、自分主導で何か出来るのか、その具体案や施策は無い。
今はただ、釣りで訪れた場所のゴミを可能な限り拾い、都合のいい時に清掃活動に出る事、自分のSNS投稿にマナーに関する事を綴り、お世話になった場所と、お世話になった遊びに感謝を込め、微力なお手伝いをする事しか出来ない。
だからその狭い枠の中で、必ず出来る事は確実にやる。
勢いだけで始めたけど、何だかんだで半年近く続けられた。
これで、釣りが出来るところや釣りの未来を守れるかどうかは知らないし、「だから拾え」と他人に強要する気もないですが、「釣り禁止になって欲しくない」「拾う人が増えて欲しい」と願ってはいます。ただ願ってるだけです。
それでも自分が辞める事はない。
釣りにどれだけ「ありがとう」って思ってるのか。
少なくとも、僕は間違いなく自然と魚にとっては大迷惑な存在だけど、僕は釣りと魚に助けて貰った1人です。
だからこれからも、釣りに「ありがとう」って言っていたい。
そんな文章書いてたら釣り行きたくなって来たので昨日の夜、ちょっとだけ海行って来ました。
ゴミ拾いは好きか嫌いか言われたら「嫌い」です。
だから正直、「今日は別にええやろ」って思う日はあります。そして基本的に大半の日は
「今日は釣りだけする」って思って来てます。
昨日はキビレ41とタケノコ25ぐらいでした。
またマックスセントで遊んでました。
でもやっぱ、自分が来てる間だけでもゴミが無い方がいいです。
あんまり探してないのも確かですけど、少なかった。
「今日は釣れて気分ええし拾って帰ったろ」
そんなんでも全然良いです。
「拾ったら釣れるんやで」
オカルト上等。僕がよく言うヤツです。
いっぱい拾ったら偉いって話じゃないです。
「減らした」事実が大事です。
そして昨日のプチ発見。
何も知らんと使ってましたが、絶妙なマッチザベイト(笑)
タケノコメバルが吐きました。ハゼ?喰ってたんか。
マックスセントはルアーパワーがエグいので、それだけ信じててこんな事狙ってなかったのに絶妙なマッチザベイト。
言われてみたら色変えたらバイト増えました。
ここではキビレもこれ喰ってんのかな?どおりでボトムバイトが多いわけだ。
餌に似せれば良いって話じゃないけど、何食べてるかは大事な情報。
よく通ってる場所ですが昨日は「そこで喰う?」って感じの釣れ方でした。確信場所では釣れませんでした。
毎回新たな発見があるし、良くも悪くも驚かされます。
魚釣りって面白すぎる。
だからこれからもずっとやっていたいな。