塔短歌会の歌人吉田淳美さんが逝去された。
東桜歌会の歌人和田晴美さんが、Xで吉田さんの歌をひいて
悼んでいらっしゃったので、
手元に残る歌集をわたしもやっと取りだしてきた。
駄々っ子ではあるまいに
彼女が病を克服して
いつかひょっこり姿をあらわしてくれるような、
そんな気がしていたのだ。
昨年夏には吉田さんの所属されているこじんまりとした歌会で
朗読会を依頼されていた。
メールのやりとりは、
その詳細をお尋ねしたわたしが最後で、
今でも返信を待っているのだった。
当然ながらこの仕事はバラシになってしまったが、
今でも『今後の仕事』のファイルに保管したまま、
温められて孵る雛のように眠っている。
 
友人ではない、かといって知人というにはおこがましい。
知り合いではみずくさい。
そんな吉田さんをどう悼めばいいのだろう。
さよならを体に刷り込むように、
亡き人がシンガーなら彼の歌を聴き
俳優なら彼女の映画を観たりするよう、
死と生を行き来しながらその作業をするしか
今のところ手立てがみつからない。
 
『CLOUD』吉田淳美歌集
 
装丁が美しいと感想を伝えると
そうでしょそうでしょ、
濱崎さんにお願いしたのよ、と
満足そうにお話しされていたのが
昨日のように蘇る。
内容よりもそこがとても重要だというような表情だった。
あの濱崎さん、と言われても
歌集作成に程遠いわたしには、
さっぱりわからない方だけれど、
濱崎さんにこのときの吉田さんの笑顔を
お見せしたいものだ。
 
そういえば。
最後といえば
メールの他に声がある。
既に体調が芳しくなく
声帯にまで影響を及ぼしていた、と今ではわかるのだが、
ハスキーな声で「漕戸さん漕戸さん」と
話しかけてくださった。
かといって風邪を拗らせた時のように
話しにくいということではなく、
朗らかに話されるので、
「ブルースを歌ったら憂歌団顔負けですね。
セクシーで好きです」
※例えが古いが
 
などと言うと
ご冗談を、と笑われた。
でも、魅力的と感じたあの声は
不思議と全く思い出せない。
あんなにセクシーで渋かったのに、
思い出すのはいつもの吉田さんの『声』のみである。
 
 
悲しいと言えばなおさら悲しくて黙って昼の食器を洗う
吉田淳美
 
いつもの声で悲しいと言う吉田さんは
ほんとうに悲しい。
 
 
 
死ぬ旅と生まれる旅にわけてゆく濡れた手で置くガラスの食器
漕戸もり
 
 
さようなら。
ありがとうございました。