傍らに積んである未読の歌集はあるけれど、

比較的いつでも会えそうな歌人さんの作品は

どうしても後回しになってしまう。

でも絶対読みますのでね!

 

今日は、

なかなかお会いできない歌人さんなので

横はいり的に拝読。

もしよろしければお付き合いください。

ではどうぞ。

 

 

『つばさの折り目』浅井美也子第一歌集 本阿弥書店

 

眩しいほどの素(す)だった。

あからさまとは違う、剥き出しとも違う。

例えば、足と素足、或いは、顔と素顔、のような

ささやかな違いとでもいおうか。

それはだれの心にも湧いている

新鮮でみずみずしい湖に触れたような感触だった。

夜。満月か三日月さえわからない月の光に照る

表紙画にある一軒の家を訪問するように、

浅井美也子歌集『つばさの折り目』を読む。

女、妻、母、子という違和感は、

遠くからみると銀河であるが、

近づいてみるとひとつひとつの鋭い石だ。

 

ほろほろと君をののしるひとりごと茶色の重き靴みがきつつ 12

夢の破片ひろわず過ごすにちにちに執念く煮込んでいる離乳食 14

逃げだしたいわれをひそませ熟れすぎた胡瓜の種をこそげとりたり 31

曇天の午後のベランダ乾かないままに家族はゆらゆら揺れる 44

 

夫の革靴を磨く。

子のために手作りの離乳食を用意する。

手間をかけ胡瓜の種をこそげとる。

ベランダに揺れている家族の洗濯物。

風景だけを思い浮かべると、なんとしあわせな場面だろう。

良い妻、良い母、円満な家族。

他者にはそう映っているし、

何よりも主体は

そう見られていることを承知している。

そう見えていることが前提で、

やっと打ち明けられるようなちいさな吐露は、

雪のように積もってゆくものだ。

 

食べさせていれば子供は育ちゆく信じてゆでる玉菜のみどり 50

ふくふくと育ちゆくなり汗をかきたくさん食べて夏のふたり子 59

愛せども愛したりない心地してしゅかしゅか洗う白き上靴 66

 

子の栄養を考えブロッコリーを茹でたり、

子の上履きを洗ったりしたりするうちに、母は母へなるのだろう。

一生懸命母になるというより、ならざる得ないという生活(日常)を

佐野元春は『うすのろ』と歌っていた。

いつまでも女でいることが、良いか悪いかは別としても。

 

歌集全体覆う手触りとして、

 

感情を薄めてものを言うはよし水たっぷりにかぼちゃ煮ている 61

 

を選んでみた。

歌集すべての歌に通ずる姿勢が感じられる一首。

『水っぽいかぼちゃ』ほど、

顕在化させてくれるものはないのでは、と思う。

そしてこれもまた

妻で母でなければ生まれなかった。

 

そして

島田修三氏も述べていた『絶滅危惧種』のくだりには

 

絶滅危惧種なれど守られぬ専業主婦 産めよ増やせよそして働け 68

夫の靴みがきはげまし送りだす絶滅危惧種なるわたくしは 68

 

が並ぶ。

 

読後に残る、同じ女であるのにこの分かち合えなさはなんだろう。

ジェンダーの時代に性差のことを語れば

忽ち痛めつけられるかもしれないが、

わかる、という気持ちと、わからない、という気持ちが揺れるのだ。

私が仕事を持つ妻で母であり、

且つ産めよ増やせよ働けと言われ、

少し早く起床し夫の靴を磨き励まし送りだし自分の仕事へ出かける、

という経験が

わかり合えなさを生んでいるのだとしたら、

わたしたち女には圧倒的に対話が足りない。

 

 

親のエゴきっちり詰めし弁当の十六穀米ひとくちのこる 114

知らぬ間に鍵かけられしスマホ手にマリアのような娘のねむり 130

 

親 病 コロナ禍の影…

それでも、

離乳食を与えていた子は日々成長している。

お弁当のおかずを残しても、自室の鍵を硬く閉められても、

マリアのように子が眠ることにわたしたちは希望を垣間見る。

 

 

会えないと思えば会いたき家族かな色なき病室に夕陽のさしぬ 94

手術室にねむる瞬間あたたかくやわらかくわが手をつつむ手のあり 111

わたくしの殻につまったかなしみを背負うときふいに足強くなる 138

 

心の湖にふれると温かい部分が必ずある。

それを希望と呼べば、また触れてみたい。

また触れてみたいと思うことがもう希望のような

手紙のような歌集でした。

 

※短歌文末の数字は歌集掲載頁

 

 

 

 

歌集、出したくなっちゃうな。

島田先生。