もうね、ほんっとに
毎日毎日しれっと過ぎるのはどうしたものか。
どんなに技術が発展しようが、むしろ
発達すればするほど、ビュンビュン去ってゆく。
奮い立たせて
メモ(ここに打つこと)しようと思っても
たのむ寝かせて、と横になりたい睡眠欲や、
気になっている書物や映画を読む観る欲、
或いは、
飲みたい🍻欲を前に、
やらなくてもどちらでもいいような日記欲など
最初からなかったように、気づけば
翌日で
翌月で
新しい季節になろうとしている。
言い訳のように聞こえるかもしれないけれど
怠けていたのは
暑さにも原因がある。
生まれ月でもないのに
物心ついた時から夏が好きだった。
少なくとも平成までは好きだった。
冷房のきいた部屋へ誰かが出入りするたび
ぬるっと入ってくる風の重さも悪くなかったし、
騒がしい蝉が網戸にへばりついているのを
わーきゃー言いながら草むらへ返すのも
なかなかワイルドな慣習だし、
海に行けば、
水はぬるくても
それはあきらかに湯ではなく、
湯に近いけれど湯とは確実に違う温かさで、
でも、
ずっと入っているとどういうわけか
くちびるがむらさきになってくるような
侮れないぬるさで、
羊水を実感した経験はないから
わからないけれど、
いつかはそこから出るしくみではあるけど
浸かっている間はやさしい、という感覚は
夏の海にしか覚えないたのしさでもあった。
ぬるっとした温風は敵であり
蝉の羽音は小さくなり
海水はお風呂のようだった。
景色が塗り替えられるのに
感情が追いつかず
こんなはずでは、と疑ってしまうから
感傷的になってしまう。
「そのうち体が燃えるよね」
とひとりが言うと
別の一人が
「どうせ燃えるんだけどね」
と言って、そこからしばらく静寂があった。
「うまいこと言うじゃん」
そのうち、と言ったひとりが小声でつっこんだ。
夏が終わろうとする時はさびしい。
こんなに暑いのにさびしい。
こういうどおってことない日常を
やっぱり記録しておこうと開いたら、
ものすごく時間が過ぎていたということでした。
残暑お見舞い申し上げます。
いつしかコンタクト愛用者にもなりました。