明日もがんばっどーー遊びに来てねー | 独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

なんとか生きているような連休前からの怒涛のお仕事ラッシュ。

 

嬉しい悲鳴でもあれば 自分の体力と精神力をいかに崩さず居れるかを

 

必至に考えて毎日を過ごしていた、いるように思う。

 

 

正直ちょっとしんどくなってきたな。 明日はいっぱいお客さんと笑いあいたい。笑

 

まあ、今年は、ぶっ飛ばしていくから。ちょっと無理してでもね。そういう1年にしたい。

 

 

もちろん多忙な中でも大前提として「楽しいこと」しかしていない。それは間違いない。

 

 

あくまで「その中」で起こるいろーーーんなアレコレの欠片がたまに心に刺さって

 

ずーっと引き抜くことができなくなったり 軽い心の出血(笑)が続いていたり。

 

でもそういうのは、みんな誰しもがあるようなもので。

 

 

あくまでたとえ話だけど

 

やったやってないとか 言った言ってないみたいなことで争うのは苦手だから

 

例え自分に確証があったとしても自分はだいたい相手側に折れることが多い。

 

 

あるいは 相手は本当になにも悪意なく、ふと口からでた言葉があっても

 

それが自分にとっては強烈に刺さるロンギヌスの槍だったりもするわけで。。

 

そういうのも細かい事象のひとつひとつ、、かもしれない。 疲れの一部というか。

 

 

「まあいいかそれで相手の気が澄むのなら・・」 で済ませたこととかは些細な事でも

 

結局自分は何日も、下手したら何ヶ月も頭にひっかかってしまうタイプの脳の持ち主なので

 

とてもややこしい。 我ながら。(笑)

 

 

どうしてそうしてしまうんだろう? 「細かい撒きビシ」をわざわざ拾って・受け取って、

 

それを長い間足の下で分かってて踏んづけ続けているのに「痛い」とは言わない。という。

 

そしてそういう感情ほど長くいちいち心の中に残ろうとする。とても厄介だけれど。

 

まあ性格だからなぁ。

 

 

我慢することで誰かは幸せになるんだろうか。 じゃあ自分は?

 

妥協を続けていけば最後は報われるだろうか? それは違うと思う。

 

 

なぜもっと笑顔が増える方法を多くのひとが知っているのに

 

笑顔を減らすことで誰かの納得を得る 必要があるんだろう。

 

 

「オトナの事情?」 とても腐った考えだとも思う、そういうものは。

 

「昔はこうだった」「ずっとこうしてきた」「そうすべきじゃない」「自分を倣え」

 

あれは嫌い、あれは大好き。 〇〇してもらって当たり前。 物事への軽視。

 

 

それこそこれからを潰すマインドになりかねないとても怖いことだと思う。

 

板挟みにされやすい世代である自分は よくそういう感覚を持つ同世代に出会う。

 

みんな困ってる。今も、昔も、どっちの脳も持ちあわせ、どっちも良いとも思ってるから。

 

 

「誰も否定できないし、意見もしづらい、我慢する、自己肯定感が下がり、病む。」

 

その典型例は、自分か。。。(笑)

 

 

「敬うべき人・物・コト」の存在は必ずあるし、それは必ず大切に扱われる必要がある。

 

ただそれにふさわしい対象は、やはりそれにふさわしい今までを積み重ねている、当たり前に。

 

賞の成績や栄光ある経歴や学歴とはまたちょっと違う軸での「蓄積」だと思う。

 

滲み出ているから、周りがそれを目に見えずとも「感じる」から、大切にしようとする

 

そういう 流れ が一番必要な物事を後世に残すポイントになるんじゃないか。

 

 

どんな年長者であれどいまの若者に耳を傾けて下さる方だって沢山居られる。

 

幸いにも自分の周りにはそのタイプの年長者が多い。ありがたいことだと思う。

 

 

そうそう 昨今どんどん老舗の喫茶店が潰れていくさまを見ていても似た感覚を覚える。

 

栄枯衰勢の流れは大きく見れば確実にどんなお店でも、街でもあるかもしれないが

 

それを「引き延ばす」あるいは「限りなく長くできる」方法はいくらでもあるのに

 

それを見出そうとしなければ、そこに未来はない。きっとそうだ。

 

フィットさせきることができず 自分の成功体験をもとになんとかしようとする結果

 

今の時代の成功のパイの中に納まらないことを頑張ってしまって、その結果、、ということ。

 

 

「今のまま」 「今の成長スピードのまま」 「今の進め方」 「今の状態」 

 

そこへの依存や、安心感こそ、もっとも成長を妨げることに案外気付くひとは少ないのかもしれない。

 

 

変わったことをしている と 先進的な取り組みを採り入れている は紙一重かもしれないが

 

そこの線引きをわざわざ作って「これはダメ」「これはOK」で区切るのではなくて。。

 

今のやり方 あり方 をよしとせず 過去をいつまでもその原型をとどめたままに

 

アップデートしようとしていくと 礎が古いのに建物だけ新築豪華!ではつり合いがない。

 

動く側も 動かす側 も同時に視点を将来に向けて歩んでいかないといけないと思う。

 

 

その歩幅が違ってもいいしそれは当たり前だから 引っ張れるひとが引っ張ればいいのだ。

 

ただし、そのひとに文句や愚痴で攻撃をするのなら、それはお門違いだとも思う必要があって。

 

 

きっと今苦しんでる自分達の世代のひとの多くはそういう類の悩みを抱えてる気がする。

 

少なくとも自分の周りではそういう感じの悩み話を頻繁に耳にする。

 

 

ある意味、誰も間違ったことは言ってない、だから、誰にも意見できないのだ。

 

 

自己昇華させていくしか術はない、かといって共有できる人間も周りには少ない、という。

 

あまり良い循環とは言い難い。 いい友人を沢山持つとそういう時に支えてもらえるんだけど。

 

良い友人が実は居るのに、そこに目を向けたり、支えを乞う勇気や自信がないひとも多い。

 

結果、しずかに潰れていき、フェードアウトしていく。

 

自分はなんとか一般人レベルまで戻ってくることができたけれど

 

結局それも周りの環境とひとに恵まれていたから。ただのラッキーなのだ。

 

 

行政にせよ国会を見ててもそうで 「慣習」 って言葉が僕はあまり好きではないし

 

なぜアップデートしていくことを保守派が拒絶しようとしていくのかを考えて寄り添おうとしても

 

保守排他に走る側の意見はいつまでも覆ることがほっとんど有り得ない。

 

じゃあこっちが折れるのが正解? 寄り添う、という綺麗な言葉にまとわせて。。

 

そんなことはないだろうし、やり方は「歩み寄り」ありきなのだから。

 

 

専門的な仕事を続けていく中で あるいは

 

沢山の専門職に就かれているお客さんとお話しさせてもらう中で

 

その専門性を研ぎ澄ませていく過程において必ずというほど

 

あれはダメだよな とか ああいうのは自分は認めれない とか

 

出てきて当たり前の考えだし やっぱりネガな意見もよく話すときがある。

 

長い経歴を積むとそういう思考はいっそう固まっていく。技術が上がろうと同じで。

 

それを個性とか各々の長所だとも捉えて当たり前のことなんだけれど

 

他者をどうこう言う筋合いは、おそらく、どこにも誰にもない、と僕は思っている。

 

 

でも 勿論ひとはみんな違うアタマをもってはいるわけで。。

 

自分も実際開業当初は 〇〇のコーヒーはちょっとまずいですよねー! とか

 

他店や同業者のことを結構否定的な見方をしている時期があった。

 

はじめの1~2年ぐらい。 まあ、実際そう思ったんだけど、苦笑

 

 

今はもうそんな考え一切持たなくなってるし、みんなが正解だと言い切っているけど

 

その 正誤 良し悪し (のような捉え方) を区分するということが

 

自分にどう 還ってくるか までをちょっと考えてみたとき、自分の経験からすれば

 

やっぱり しっぺ返し をくらってきたことばかりだった。 そりゃそうだろう。

 

 

自分が蒔いた種なんだから 痛い目見るのが自分なんて当たり前で。(笑)

 

 

僕自身はシンプルに ひとを褒めることがとても好き で

 

そのひとの 良いトコロ になるべく焦点を合わせたいと常に思っているし

 

嫌うとか 嫌な言葉をぶつけるではなく そういうものだと捉えてみて 受け入れて

 

自分の違和感が一定度を超えたら、いったん手放す、明確な意見を言う、とか

 

そこで一度は「こと」を起こすようにしてきている。 もう10年ぐらい前からだ。

 

 

それで何も変わらないなら、変わらないし、何かが変わるなら、必ず未来も変わるし。

 

ほんの些細なきっかけを自分が創ることで、離れてしまう人物事だっていくらでもあるし

 

代わりに より結束が強まる、縁が深まる人物事も同じかそれ以上あるわけで。

 

 

だから、なにもしないという選択はせずにいようと努めている。いつも。

 

 

いまだに心の中に溜まり続ける違和感は日々増えていけば減ってもいけば

 

ずーっと上下動を繰り返してるものだけれど 溜まる一方では無くなってきつつある。

 

 

ようやく、身の周りが 「そういう状況」 になってきたのだ。11年かけて。

 

やっとそれこそ 「自分の店感」 が板に付いてきたという感覚もある。

 

商売って、簡単に成功してしまうのも脆弱性を伴うように思うし

 

大器晩成とかいってそのまま潰れていくパターンも多々あるわけで。

 

 

やっぱり 自分がいかに自分の したいことを 楽しみ切る を続けてって

 

どうやって身の周りの笑顔を増やすかをファーストで考えていられるかで

 

何年後かの自分の環境が間違いなく良くなってきていることを理解できたし

 

もっとそれが加速度的にすすんでいくこと、実現していくことを願ってる。

 

 

もっと自分の周りのひとたちにできることをし続けていきたいし

 

そこから生まれる渦の質を極大値まで引き上げていきたい。

 

その 仲間 をもっと増やしたい。 本当にそういうシンプルな目標。

 

 

もう40歳にもなる。 そろそろ 選んでも いい頃だと思う。

 

自分の描く次の10年に相応しいまず自分自身になりたいし

 

そんな自分が役に立ちたいと思えるひとと仲良く居たい。

 

 

幸せにします! じゃないけど(笑)

 

そういう責務を自らに課すことが結構いいモチベーションにつながってて

 

対象は「みんな」というとても抽象的な表現になってはしまうけど

 

「悪い事は起こらない」 を自分の周りや店の中だけであっても

 

そこからすこしずつ半径を増やしてって そこで楽しみきる生き方をしようと思う。

 

 

もう 雑多な環境 は要らない。 でいいと思う。

 

大事なひと・もの・ことの全てを

 

当たり前に大事にできるように。

 

 

また改めて営業予定をアップしますが

 

17~20まで、長期出張でお休みとします。

 

久しぶりの東北と東京です。もちろんクルマです。(笑)

 

たのしみなんですが、腰痛でへばっているので

 

火曜日水曜日でまずは病院です。(笑)

 

 

<営業予定表> 当面の営業予定です。お取引先周りの長期出張を挟みますので日時ご確認の上ご来店下さい。 ◆臨時休業 5/17~20・31 6/9 ◇短縮営業 5/16 6/10 その他急用時の変更事項等はgoogle店舗情報・各SNSにて随時お知らせします。 <web/onlineshop> http://eleven-coffee.com