久しぶりに書いて見ます。
今日もまた、ふと思いついたテーマについてです。哲学的思考というのは、日常的な活動も含めて、あらゆる人間活動に非常に大切であろうということです。
思考というのは、あらゆる人間がその本質的特性として持つ非常に大切なものであるということはほとんど論を待たないことで、承知されている事柄だと思います。今日何をどのようにするかという瑣末なことから、自分の人生や多くの人々に影響を及ぼす重大な決定に至るまで、思考を用いずに為されうるものは何もありません。何事かを、合理的に効果のあるものとして為そうとすれば、そこには感情だけではなく、考えて為すということが必ずなければならないでしょう。感情的になり過ぎて思考を置き忘れてしまった結果、言い過ぎがもとで喧嘩がこじれたり、相手の気分を害して関係が拙くなってしまったりすることは、多々あることであります。
その意味で、物事をスムーズに滞りなくより上手く進めていくために考えるということは、日常的にほとんどそんな当たり前なことを意識するまでもないというくらいのレベルで、自明なことであります。
そんな人間活動にとって空気と同じくらい必要不可欠な思考ということができますが、それを正しく行使しているかというと、また話は別なのではないでしょうか。余りに当たり前すぎて、その意味で普遍性を持つにもかかわらず、十分に意識されず、なおざりにされてしまっているものの代表格と言えるのではないでしょうか。
ところで、色んな物事をより良く、より効果的に進めるために重要なことは何でありましょうか。それは、まず第一には現状分析ではないでしょうか。これから取り組もうとしていることが、何であり、それはどのような状況にあり、どのような問題があるのかということの、十全な理解が必要です。その事の孕む経緯であったり,歴史といった、現在の外面的な部分でない,過去をも含めた本質的な理解が必要です。現実的に存在するものについて、より十分に本質的に知ろうとすれば、今現在を生じさせた過去の原因なり原点なりをも時間軸を遡って理解しておく必要があるでしょう。
そのようにして、その事柄の本質に関わる緻密な分析が、現状の把握としてまず第一に必要だと思われます。
その次には何が重要かと考えますと、そのような緻密な分析を手掛かりに、実際にその事、その問題に対して何をするのかを決めなければならないでしょう。現実的な行動についての判断であります。現状の正しい認識のもとに、それではどうするかということを決めなければなりません。それには、今度は過去ではなく、未来が関わってくるのではないでしょうか。そのことを為した結果どうなるのか、周囲の人々や環境に対してどのような影響があるのか、その行為をなした後の状況を今度は十分にシュミレーションする必要があります。将来に目を馳せ、より良い将来を展望した上でそれを実現させるという明確なビジョンのもとに、実行に移す必要があるでしょう。一定の理念に基づいた上での判断であって初めて、より良い結果を将来させると言えます。
緻密な分析に基づく、将来を見すえた理念的な展望に立った上での判断。なかなか言うは易し、行なうは難しといった事柄だと思いますが、人間が当たり前に行う思考を十分に働かすというのは、そうた易いことではないのではないかということにもなります。
人間誰もが行う考えるという営み。哲学的に、根本的により十全に行うことは、なかなか至難なことであります。