美しければ 許されるのか | 酒と散歩の日々                                               

 このブログは、基本お気楽に進行していて、ホッピーが美味いとかライヴが楽しかったとか、そんな話がつらつらと綴られている。何かを売りつけようとか、怪しい儲け話(最初っから怪しいと書いてあるわけじゃないけどね)なんてのは、まず間違いなく登場しない。

 評論とか非難とかも基本的にはないのだが、今日はちょっと問題提議的なことを書いてみる。

 

 TV番組で、「池の水」を抜いてみたり、外来生物を駆除しようと、意気揚々と大声を張り上げているのをみる。もちろん、日本の生態系に大きな目に見える影響を与えるものは駆除していかなければならないとは思うのだが、対象となる生き物はみんなかなり醜い。

 ワニガメしかり、ウシガエルしかり・・・

 

 なぜ、こんな話なのかといえば、この夏暑い中、近所を散歩中こんなものをみつけた。というか、花の写真を撮って回る中でみつけた。

 

 

 正式な名は知らないが、ユリである。もう10年以上前からだろうか、うちの庭にも気が付かないうちに生えて花を咲かせていた。

 このユリが、この夏 馬堀海岸でやたらに目につくのである。

 

 

 で、生え方がいかにも植えられましたではなく、雑草的なのである。植え込みの中からにょっきりと出ていたり、生け垣の樹の間から顔をのぞかせている。

 

 

 確かに美しいのだが、これは外来種?だとすれば、駆除されるべき対象?なかなかそう思えないところが人間の心理ということが書きたかった。このユリは果たして、日本の生態系に影響を与えていないのだろうか。光合成をするのに光を奪い合っているし、土の中の養分だって競争しているに違いない。

 なぜ、大声をあげて、このユリを撲滅してしまえ!と声が上がらないのだろう。

 

 そんなことが書きたかった。

 外来生物だけではない。ゴキ〇リは嫌である。この間、浅田次郎さんの短編集を読んでいたら、そのゴキ〇リを飼う青年が登場していた。北海道出身で、あちらには生息していないため(現在もそうかは知らない)珍しくて 美しい姿だと思って飼っているという設定だった。

 ゲッと思った自分が、このユリのことを書こうと構想を練っていた自分と重なった。

 ありえない話として示すが、あのゴキ〇リの生態的な地位をピカチュウが占めていたら我々はどうするだろう。夜中に出てきて、残飯をあさったりする。食事中に部屋の片隅から・・・

 かわいいから許しちゃうんだろうか。

 

 で、タイトルなのだ。「美しければ(可愛ければ) 許されるのか」 いかが思います?

 

 おまけ。本来の目的で撮影した花の写真たち。

 

 

 これはタケニグサ。

 

 

 こちらはハマユウ。横須賀の市花である。

 

 そして、どなたかこいつの名前を。馬堀海岸の赤いレンガの遊歩道。とある家の前に生えていた。多分園芸種だと思う。

 

 

 昔ウルトラQでみた、「バルンガ」みたいだぞ。