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喫茶店の書斎から

コーヒーカップの耳

先月23日「さくらFM」に出演したときのこと。

宍粟の詩人西川保市さんの詩集『大切な人』からわたしの好きな詩をたくさん朗読したのだが。

小さなミスは何カ所かあったが、一つ大きなミスをしているところがあった。

読んでいてすぐにミスに気付いたのだが、訂正せずにそのまま読んだ。

「物差し」という詩。

その出だしの第一連は次の通り。

 

  朝の食事をしていると

  なんの前触れもなく

  上の差し歯が一本

  ポロっと欠ける

 

しかしわたしはこの三行目を読み間違った。

 

  上の差し歯が

  ポロっと欠ける

  一本

 

「一本」を後ろに回したのだ。意識せずにこう読んでしまった。

間違った時はすぐに訂正するのだが、敢えてしなかった。

録音を聞いてみた(30分過ぎ)が、もしかしたらこれの方が良かったのでは?と思ったりしている。特に朗読するときには。

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

先日、武庫川の古書店「街の草」さんで文庫本を11冊購入した。

11冊のうち山本周五郎が6冊。

そのうちの『与之助の花』(山本周五郎著・新潮文庫)を読んでいる。

 

もう大きな本は読みにくくて、最近は文庫本がありがたい。

眼を手術して小さな字が読めるようになったので。

 

昭和10年から17年ぐらいの戦前に書かれた作品集。

周五郎、まだ30歳代か。熟達の域に達していないころの作品だが、面白い。

さすがです。

戦前戦中のものなのに、軍国主義に迎合するようなものはない。

今でも十分に楽しめる。

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

24年前に買ったまま読んでいなかった本を読み終える。

『歩兵の本領』(浅田次郎著)。

さすがに浅田次郎さん、読み易い文体だった。

自衛隊体験のあるものでないと書けないもの。

今の自衛隊ではない。多分1970年頃の。

この本を読むまでは自衛隊の内部について全く知らないことばかりだった。

9篇の短編からなるが、小説ではありながら、生々しいリアリティーにあふれている。

とてもわたしなんかが我慢できるような場所ではない。

昔の小説なので、今の自衛隊はこんなではないだろうが、こんな時代があったのだと感慨が深い。

中で、特に興味深かったのが、三島由紀夫の事件に触れたところ。

 

《去年、市谷駐屯地のバルコニーで自衛官の名誉と尊厳を説いた末に腹を切った小説家がいたが、彼の口にした「正論」に当の自衛隊員たちが誰も賛同しなかった理由は、彼がおのおのの存在責任にまったく関与しない、他者(よそもの)だったからだ。すなわちすべての時間とすべての道徳とを共有しない他者である限り、自衛官は誰ひとりとして彼の説くところに耳を傾けるはずがなかった。》

 

これはこの小説を読むとよく理解できる。わたしも昔、この事件のニュースに接した時、なぜ自衛隊員は彼に冷ややかだったのだろうと思ったことがあったが、今はよく解る。

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

今日の神戸新聞文芸欄は第5週ということで投稿作品ではなく、選者特集。

詩、短歌、川柳、俳句のそれぞれの選者が与えられたテーマで随想を書いておられる。

テーマは「遊びをせんとや」。

 

これは詩の選者、時里二郎さんの「詩歌という遊び」。

記事拝借お許しを。

 

この「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや」で思い出すことがある。

もう43年も昔のこと。

 

わたしが子どもの通う小学校のPTA会長をしている時に、足立巻一先生に講演をしていただいたことがあった。

これに関してはたくさんのエピソードがあって、すでにあちこちに書いた。

 

その講演はわたしが録音させていただき、後にテープ起こしをして冊子にした。

そのころはパソコンはなく、ワープロで作ったもの。

『講演 《子どもの世界》』(講師・足立巻一・テープ起こし今村欣史)。

 

この中に「梁塵秘抄」に触れた部分がある。

講演の最後だった。

 

感動的な講演だった。

 

「あとがき」にわたしはこんなことを書いている。

《話し言葉を文章にするのに、多少整理の手を入れたが、なるべく先生の息づかいを伝えようと、敢えて最小限に抑えた。》

正に先生の息づかいが聞こえる冊子になっていると思う。

 

 

 

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

 

 

今朝、食卓の上の照明灯の回りを、どこから入ってきたのか黒い蜂が飛び回っていた。
たまに電気の傘に止まったりして鬱陶しい。
殺虫剤はなかったし、どうして捕まえようかと思案したが、
そうだハサミで切ってやろうと思った。
普段紙を切るのに使っているハサミ。
妻は「それは無理でしょ」と。
ところが何回目かに微かにかすった。
蜂はハラリと落ちた。
羽根の一部が切れたらしい。
下に落ちたのだ。
それを見た妻が、
「スゴイ!」と言った。
「絶対に無理やと思ってた」と。
妻はいつも僕のすることを誉めてくれる。

 

追記

  《また「スゴいね」と》

昨日、国勢調査票が届いて、
ネットで回答を済ませた。


前回もネットでやったので、簡単にあっという間。
「済んだ」と言うと妻が、また
「スゴいね」と言ってくれた。
わたしは、ほめ育てられています。

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

今年の夏は暑すぎて、ご無沙汰していた古書店「街の草」さんに久しぶりに。

お店は中も外も、相変らず本だらけでした。

 

三毛猫が二匹でお出迎え。

ご近所の飼い主がお亡くなりになって、ここに居ついているとのこと。

店主の加納さんが可愛がっておられるのでしょう。

 

先日のさくらFMの「コーヒーカップの耳に聞く」をもう一度聴いてくださる方はこちらから。   「西川保市さんのこと」

 

 

先日、土曜ドラマ「母の待つ里」を観終わったのだが、良かった。

 

以前、浅田次郎原作の本が話題になって読んだのだが、それは私には話題ほどには感じなかった覚えがある。

読み終った後、誰かに譲ってしまった。

しかしテレビは良かった。なぜかなあ?と考えたら、主役の宮本信子の演技力だと気づいた。

あれに参ってしまったのだった。ほとほとスゴイ演技だった。

 

で、今朝ほど書棚を何げなく見ていたら目に留まった本があった。

浅田次郎さんの『歩兵の本領』(講談社・2001年刊)だ。

あれ、この本に覚えがない。でもわたしの書棚にあったのだ。

手に取ってみると、全く読んだ覚えがない。まっさらの感じ。読者カードのハガキも挟まったまま。

でも、読んだことを忘れたのではないかと思い、読み始めてみた。

やっぱり覚えがない。

栞紐も使用感がない。まっさらだ。

考えてみたが、どうやら読むつもりで買ったのだが、読めなかったのだ。

発行日が2001年4月10日となっている。

わたしの正式出版第一号の本、詩集『コーヒーカップの耳』の発行日が2001年2月1日だった。

これの対応に忙殺されていた頃だったのだ。

それで取り紛れてしまって、そのままになってしまっていたというわけ。

24年も経ってから気づくなんて。

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 

 

短歌誌「六甲」9月号の短歌のことは先日ここに上げました。

 

その「六甲」誌に「昭和文人の手蹟」と題して連載させて頂いています。

今月9月号は、第36回「長田幹彦」。

 

今回は幹彦というよりも谷崎潤一郎について書いたような感じです。

残念ながらわたし、谷崎の手蹟は所持しておりません。

しかし、まだまだご披露していない有名昭和文人の手蹟があります。

さて、全て紹介するまでにわたしの能力、はたまた命が持つか?

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。