ドリアン助川さんの『動物哲学物語 ナイス実存』を読み終えた。

20話あるのだが、それぞれ動物が主人公。
ドリアンさんは動物好き。知識も豊富。
前作の『動物哲学物語 確かなリスの不確かさ』もそうだったが、「へ~?」と思うことを教えてもらった。
但し、わたしは哲学に関しての教養がないので、大きなテーマ「哲学」に関しては何も言えない。
でも「哲学」の空気感は味わえた。
全体を覆っているものが哲学の世界なのだから。
しかし、ドリアンさんの説く哲学物語には、生々しいところもあるが、着地点は優しさである。
ハラハラドキドキしながら読んでも、最後は救いにつながる。
そして、わたしがドリさんの小説に感心するのは、比喩の素晴らしさ。
詩人の必須条件であろう。
ドリさんは詩も書かれて、そこには当然素晴らしい比喩が散りばめられているのだが、
小説にもいっぱい出てきて楽しめる。
今回の本にもいっぱいだ。
「マツカサトカゲ」の巻から。《人間でいうなら、ランドセルを背負った小学生をいきなり産むような荒行でしょうか。》
「タスマニアデビル」の巻から。《つぶらな瞳は蜘蛛の巣に宿った輝く水滴のよう。》
「フクロモモンガ」から、《黒雲母のようなその目はすぐに涙でいっぱいになりました。》
「ハリモグラ」から、《大地から逆さになったビックリマーク「!」の群れが突き出ているような風景に…》
「クオッカ」から、《育て方を間違えたのではないか、お乳に笑えない成分が入っていたのではないかと…》
「オランウータン」から、《ぼくは歩きだしたばかりの赤ん坊のように左右に揺れながら…》
同じく「オランウータン」から、《だれかに話したいことがイチジクの実のようにたくさんあったのです。》
「ジュゴン」から、《涙は透明だから海中で見えなくなるはずなのに、なぜか夏の日の陽炎のようなわずかな揺らぎとなって漂うのです。》
「インドスイギュウ」から、《父親の頭には、三日月が空から降りてきたような、巨大で鋭い二本の角がありました。》
「インドサイ」から、《頭の中は、噴火するはずのないヒマラヤ連峰から無数の噴石が飛んできたような状態になりました。》
「ヒマラヤタール」から、《なんと高い山々の連なりなのだろう。頂があんなにギザギザ尖って、まるで空に斬りつけているかのようだ。空は痛くないのだろうか。》
同じく「ヒマラヤタール」から、《青空が溶けて落ちてきたようなブルーポピーの花々にうっとりしたこともありました。》
どうでしょうか、これでごく一部ですが、なんとバラエティーに富んでいることか!
哲学的で抽象的な言葉も多いのだが、こうしたくっきりと眼に見える比喩が散りばめられていて、ページをめくって読み進めることが楽しくなる。ワクワク感があるのだ。
ドリアンさん、もう次の本を準備なさっているのでしょうが、また楽しませて下さい。
ありがとうございました。
こちらからドリアンさんの歌声が聴けます。
『完本コーヒーカップの耳』 (今村欣史著) ドリアン助川さん激賞の本。