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喫茶店の書斎から

コーヒーカップの耳

今朝の神戸新聞記事。拝借お許しを。

井上慶太九段、800勝おめでとうございます。

800勝とはホントにスゴイ。

 

昔、塚田正夫九段が言った言葉が有名。

「勝つことはえらいことだ」。

なんでもない言葉だが、将棋を一局勝ち切ることの難しさを表して、将棋を指す者には実感ある言葉。

 

しかも豊島九段に勝ってのもの。

素晴らしい!

 

慶太さんとはもう長いお付き合いだが、いつも変わらず誠実な人だ。

早速お祝いのメールをしておこう。

 

今村さんの本。『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

政治の世界では風雲が起こっているようですが、我が家の前からの対角線風景は穏やかです。

 

 

わたし、政治に無関心ではありません。

どちらかといえば、いつも注意深く見ています。そして考えています。

でも、SNSでそれを発信することはありません。

ネットの世界では政治について、あまりにも口汚い言葉が乱れ飛んでいるように思います。

そんなのに限って文章力は怪しいのですがね。

子どもの頃に作文や詩などをちゃんと指導されたことがないのでしょうね。

その文章力(思考力に影響があると思います)で政治について深く考えるということは恐らくできないでしょう。

そんなところに参加したいとは全く思いませんので。

 

今村さんの本。『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

昨日届いた手紙に感動。

宍粟市の詩人、西川保市さんのご夫人からの手紙です。

夫人は現在95歳。便箋二枚にびっしりと書いてくださっています。

わたしが西川保市さんの詩のことを9月23日に「さくらFM」でおしゃべりしたことへのお手紙でした。

「さくらFM」は阪神間では聞くことができますが、宍粟市では無理なので、ポッドキャストがあることをお伝えし、近所に住む娘さんにパソコンで聴かせてもらわれたのだ。

手紙のごく一部。

 

《娘と二人で一緒にラジオをきかせて頂きました。自然に涙が出てきました。娘も泣いておりました。(略)夫とは74年間夫婦で暮らして参りました その間 色々ありましたけれど 大きな声で叱られたり怒られたことは一度もなかったこと(略)私には本当に頼れる一番の主人でございました こんな事 他の人に云うのは自慢話のようになりますので誰にも話しませんが 判って下さる人はおられるものと 安堵いたしました。(略)今村さま 本当にありがとうございました 胸が一杯になりまして…(略)保市妻 ○子 》

 

こんな風に書いて頂くとおしゃべりした甲斐があったというものです。

おしゃべりの機会を与えて下さっている「さくらFM」さんにも感謝です。

 

次回の「コーヒーカップの耳に聞く」は11月25日の予定です。お聴き頂ければ幸いです。

 

今村さんの本。『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

今日の対角線風景です。

秋が深まるにつれ徐々に夕焼けの色が濃くなって行きます。

 

明後日11日は「書斎・輪」で『対角線』第2号の合評会を行います。

一年ぶりに逢うメンバー、元気かな?楽しみ。

 

 

今村さんの本。『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

 

長くやってきたgooブログ「喫茶・輪」が閉鎖となりました。

そこに10年前に書いた貴重な記事をここに再録しておきます。

 

今村欣史詩集「コーヒーカップの耳」より


「水中メガネ」
障害が重すぎて
散髪屋さんに連れて行かれへんから
私が切ってやるんやけど
ものすごう嫌がるんよ
目えつむるんが嫌なんよ
見えへんのが不安なんよ
そやけど 
目え開けてたら髪の毛入るし
困ってねえ
ほんで水中メガネ思いついたんよ
そやからこの子は
水中メガネ出してきたら散髪やとおもてるの

You know, his handicap is so heavy,
I can’t take him to a barber,
So I cut his hair,
But he hates it, you know,
Closing eyes, he hates that,
Seeing nothing makes him feel uneasy.
But you know,
If he opened his eyes,
His hairs’d come into them, right?
I was so confused and finally got it.
Goggles, yes, goggles!
They popped in my head!
And then,
Whenever I take the goggles,
He gets set to have hair cut.

こんちは。ドリです。
少し前になりますが、西宮にお住まいの今村欣史さんより
詩集「コーヒーカップの耳」をいただきました。
今村さんは、「輪」という喫茶店を経営されながら
お客さんのつぶやかれた言葉をこのような形で作品として残されています。

ここにあるのは、
戦争を体験された世代の肉体の痛みまで伴うような呻き声であったり、
やくざ稼業に片足を突っ込んだ人の苦い嗤いであったり、
息子を失ったお父さんの延々と続く「生への不可思議」であったりしますが、
文芸を意識して言葉を放った人はおそらく誰もおらず、
今村さんもまた詩の体裁を越えたところで
まさに「コーヒーカップの耳」としてこの文字列の物語を頁に刻まれています。

詩とはなんだろう? という問い掛けに対し、
ボクには
「言葉の連なり、組み合わせ、また全体から、既視感のない新しい地平が見えてくること」
というひとつのレスポンスがあります。

そのような意味では、
この詩集に斬新な言葉の組み合わせがあるわけではありません。
しかし、コーヒーカップの耳を通して聞こえてくる数々の言葉から、
俯瞰でしかとらえられなかった街の本当の中身、
いわば阪神地区の血管を行き来する個々の血球である人々の表情というものが、
潮のように押し寄せてくるその只中に佇むことができるのです。

喫茶店をやられる人って、
やはり人が好きなんだな、と思いました。
今村さん、ありがとうございました。

今村欣史詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア)
(詩の英訳はボクの遊び半分です)

 

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。


 

なぜこの本を借り出し予約したのか覚えてないのです。

『酔って候』(司馬遼太郎著)。

『柳田国男自伝 故郷七十年・拾遺・補遺』を借りた時に「これもご用意できてます」ということでお借りしてきたのですが。

なにかの情報によって読んでみたくなった筈なのですが、忘れてしまっています。

困ったものです。

読んで行くうちにわかるかな?

 

今村さんの本。『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。

『柳田国男自伝 故郷七十年・拾遺・補遺』(石井正巳校注・角川文庫)を図書館からお借りしてきました。

 

 

これに宮崎修二朗翁のお名前が載っているかどうかが気になったもので。

 

微かに載ってました。

参考文献の欄に二冊。宮崎翁が書かれた柳田本はもっといっぱいあるんですけどね。

 

そして、本文の前のページに。

 

「校注者」とあります。ということは石井正巳氏ですね。

だけど、「その場に同席した」と書かれています。

たしかに同席なのですが、本当はそんな軽いものではなかったんですけどね。

そのこと、実はこのページにも名前が載っている鎌田久子さん(柳田の門人)が『民俗的世界の探求』(鎌田久子著・慶夕社・1996年刊)の中で書いておられます。

 

《「故郷七十年」のお手伝いが出来たことは、わたしにとってかけがえのない財産である。(略)ーこの仕事の中で、唯一心にかかったのは、宮崎修二朗氏のことである。神戸新聞編集部から選ばれ、柳田先生に関することを大変よく研究して来られた氏は、その豊かな才故に柳田先生に受け入れられず、この聞き書きの相手は、企画者嘉治隆一氏自身がつとめることになってしまったのである。宮崎氏は縁の下の力持ちというか、裏方にまわり、資料とか写真その他、種々下ごしらえをして下さったのである。宮崎氏の文学青年としての素質が、柳田先生と一脈通じるのか、それが、かえって先生を刺激なさるのか、ー》

 

ということです。だから『故郷七十年』の本当の所は宮崎修二朗翁のことは欠かせないのですがねえ。

 

そこのところ、詳しく載っている本。『触媒のうた』楽しい文学史秘話が満載。