けど、カテゴリーは「宮崎修二朗翁」に入れました。
その理由はこの後お読み頂ければお解かり頂けます。
宮崎修二朗翁の著書に『神戸文学史夜話』というのがあります。

昭和39年発行です。
これの跋文を足立巻一先生が書いておられます。
わたしのこの拙いブログを毎日読んで下さっている人に、一度その文章を読んで頂きたく、ここに転載します。
一度には大変なので、何回かに分けて。
足立先生、渾身の跋文だと思います。
わたしがなぜ、宮崎翁を畏敬し、足立先生を尊敬するかが解って頂けるかと思います。
『神戸文学史夜話』によせて 足立巻一
① 宮崎修二朗さんと知りあったのは戦後まもないころで、おたがいに大阪の新興新聞の記者としてでしたから、交友はもう二十年になろうとしています。その二十年間、宮崎さんもわたしも当然、年をとり、生活も思想もずいぶんかわりました。しかし、宮崎さんのわたしに対する友情はすこしもかわっていません。たとえば、わたしのヘタな詩を戦後まっさきに写真入りでデカデカと新聞にかかげたのも宮崎さんですし、忍術をこっそりしらべているのを探知して東京の出版社に密告し、一端を発表させたのもかれです。こんな事例はいっぱいありますが、いままた、かれの労作に一文を書けと強要してやみません。このわたしとの交友関係にあらわれた宮崎さんの錯覚と一徹な行動とに、わたしはいつも詐偽をはたらいているような罪悪感におそわれるのですが、ちかごろでは、こんなに無条件で買いかぶってくれる友を得ることは、人生でそうザラにはないものだとわかりはじめてきましたし、かれの錯覚にも感謝し、かれのいいなりになることにしています。そして、そこに宮崎さんの人間性もよくあらわれているように思うのです。 つづく
この文章が書かれてから50年以上の時が経っています。足立先生が亡くなられてから30年になります。けど宮崎修二朗先生は今もご健在です。そしてわたしはしょっちゅうお会いさせて頂き薫染を受けております。幸せなことです。